2025年7月 8日 (火)

ゲイになった原因・・・ゲイの自分史②(2025年1月18日のnoteから)

 
おはようございます、龍です。

 

 大学出て25歳くらいには結婚して、出来れば子どもは5人くらいほしい。ってのが中学、高校生の時に思い描いてた俺の未来でした。実際にはほぼそのとおりの道を歩んでたんですよ。大学時代のアルバイト先の正社員の女子との付き合いは続いていて・・・。

 

 だったんだけど、27歳で東京へ転勤してから急激に変わっていく。まさに 『木綿のハンカチーフ♬』 東京生活が楽しくて、それまでの京都と大阪での交友関係を一切断ち切って、当時の友人に言わせると失踪状態だったらしい。

 

 俺はゲイは100%先天的なものだと思ってるからゲイになった、という表現ではなく、ゲイだと気付いた、と表現すべきなんだろうけど、俺の場合はやっぱり 『ゲイになった』 だな。

 

 横浜のとある洋画のポルノが掛かってた映画館。大学卒業と同時に始まったポルノ映画館、ストリップ劇場通いを東京に転勤になっても続けてて、たまたま入った横浜の映画館で、年配の男性に股間をまさぐられて口で銜えられて射って、それがあまりに気持ち良くて通うようになって・・・。

 

 ってのが始まりだから、やっぱり俺の場合は 『ゲイになった』 って表現になるんだと思う。そうは言ってもゲイのタネというか元になるものは持ってたんだろうから、それが発芽するきっかけが映画館だったんだな。29歳のクリスマスイブだった。

 

2025年7月 7日 (月)

ヨンサントオを知っていますか?(2025年1月14日のnoteから)

 
おはようございます、龍です。

 

 国鉄、昭和43年(1968年)10月のダイヤ改正。東北本線の全線電化、複線化が完成して、それに合わせて全国の路線のダイヤを大幅に見直したのが43年10月、ヨンサントオのダイヤ改正。

 

 新幹線は、東海道新幹線(東京ー新大阪)しかなくて、いわゆる在来線が華やかな時代でした。新大阪駅まで行って、山陽線を西へ向かう特急を憧れの目で見てましたよ。当時はまだ急行列車が主力の時代だったね。

 

 俺が住んでたのは京都、自転車で山陰線の二条駅の近くまで行って、蒸気機関車に引かれていく鈍行の客車列車やディーゼルカーの急行をよく見に行ったもんでした。たまに隣の駅の花園駅まで乗ったり、保津峡まで行くのは冒険だったね。家から2㎞ほどの二条駅へ行くことすら冒険だったのかもしれない。

 

 今、手元に、昭和43年10月の時刻表がある。180円。少年には高い買い物だった。何度も何度も見てるからもうボロボロ。だけど、時刻表を見ながら空想の旅行をしていたその時刻表を見ながら、今も過去に戻って空想旅行を楽しんでます。

 

2025年7月 6日 (日)

ゲイの自分史を書いてみよう(2025年1月11日のnoteから)

 
おはようございます、龍です。

 

 人に自分のチンポを触られたのは何時で、それは誰だったんだろ?

 

 それは、中学生の時に、銭湯でよく会う3歳年上の工務店に勤めてる人と触り合いをした時だな。たぶん俺が中学2年で、彼は3歳年上だから17歳。まあまあデカいチンポなのに毛が俺よりも薄かったから、それをじろじろ見てて、そこから触り合いになったんだった。けどそれ以上には至らなかったね。

 

 じゃあ、チンポをシャブられたのは? 20歳代の頃の俺は相手はもっぱら女性だったから、初めてチンポをしゃぶられたのは女の人だったけど、男の人にとなると男女物のポルノをやってる映画館で股間をまさぐられて、口で咥えられて射ったのが最初。そろそろ20歳代が終わるというクリスマスイブの日だった。

 

 それで、映画館に行けば一方的に気持ちいいことがしてもらえる、というのを覚えてそれが癖になってずいぶん通った。女性が相手だと俺が奉仕するのがほとんどだったから新鮮だったんだな。あるとき相手の男が、自分のも同じようにやれと要求してきて握ったのが他人のモノを触った最初、だと思う。さすがに口で、俺がやってもらったのと同じようにすることは拒んだけどね。

 

 そうなんですよ、俺は男が好き、恋愛の相手は男の人、だからじゃなくて、ただ気持ちよくしてもらえる、という性処理がこの世界の入り口だった。

 

 でもね、幼い頃から、女の子よりも男の子と仲良くしていたし、銭湯では大人の男の人の身体やチンポに興味が向いていたから、もっと若い頃に男の人からアプローチを受けてれば、もっと早くにゲイの世界に入っていたことはまちがいない。

 

 俺のnoteの題名が 『俺の過去と今』 、なので年が改まったこの機会に俺の過去、ゲイの自分史を掘り起こして書いてみようと思います。

 

«老化、年の初めに思ったこと(2025年1月7日のnoteから)