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2024年1月17日 (水)

後悔しない

 
 神戸の地震から29年になるんですね。 あの日の朝は大阪、梅田のホテルにいてもの凄い揺れで目が覚めたんだけど、午前2時過ぎまで堂山で飲んでて、地震の怖さよりも眠さの方が勝ってすぐに二度寝したんだった。 そして8時頃の強い余震でやっと起きたんだった。 神戸は大変なことになってるのに、何事もなかったように朝食を食べてチェックアウトしたんだよ。

 
Ise2401_9104f  朝9時の梅田は車がほとんど通ってなくて異様に静かだったのが怖かった覚えがある。 京都の実家に電話して無事を確認して、さてどうやって東京に戻るか。 大阪駅へ行ったら、京阪電車は動いてる、近鉄も動き出したというので近鉄で名古屋へ、そして名古屋から東は動いてた新幹線で東京に戻ったんだった。

 
 29年前といえば、二度目の東京暮らしの2年目、ゲイとしての経験はある程度積んで経済的にも余裕が出てきて、仕事も私生活もバリバリに楽しんでた頃。 ガツガツ泳いでガッツリ筋トレして、肉体のピークはこの頃だったと思う。 この頃にSNSがあってデジカメがあったら披露しまくってたと思うね。

 
 実はこの時の地震の体験が、自分をあきらめていくキッカケなんだよね。 このあきらめる、ってのは、何も望まなくなるとか向上心を失くすとかというものではなく、死ぬ時は死ぬんだ、というあきらめ。 いつ死んでもいい、と、死ぬかもしれないからやめておく、じゃなくて、いつ死んでも悔いを残さないように、後悔しないように生きていく、と思い始めた時なんだな。

 
画像 伊勢神宮、内宮にて
 

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2024年1月 7日 (日)

昭和99年

 
 今日1月7日は昭和天皇が亡くなった昭和最後の日。 35年前の今日は夜明け前に大阪を出て車で伊勢神宮に向かったんだけど、着いて、いつもと雰囲気がまったく違うことで初めて知ったんだった。 正月なのにやたらと人が少なかったことを憶えてます。

 
Kz04_8164f  俺が生まれた時に、実家にはテレビがなかった、らしい。 冷蔵庫は電気のじゃなくて、上段に氷を入れてその冷気で冷やすやつがあったね。 洗濯機もなかったように思う、とオフクロが言ってた。 ガスレンジはあったけど、ご飯はかまどで薪で炊いてた、というのは憶えてる。 瞬間湯沸し器はもちろんなかった。 電話は、親父が職人で、元受けの会社と頻繁に連絡を取らなきゃならなかったから早くに引いたらしいからあったし、近所の人を頻繁に呼び出しに行ってたのも憶えてる。 風呂はなかった。

 
 テレビや洗濯機や冷蔵庫なんかの家電が 『ない』 から 『ある』 に変わっていくのが昭和30年代なんだな。 今の時代が 『既にある』 ものが改良されて便利になっていく時代だけど、俺は 『ない』 が 『ある』 に変わっていくことを知ってる最後の世代何だと思う。 今あるものが生まれた時代、正に激動の時代が昭和なんだね。

 
 昭和天皇が亡くなった1989年は美空ひばりが亡くなって、そしてベルリンの壁が無くなった年でもあるんだよ。 昭和天皇が亡くなった時はオヤジが呆然としていて、美空ひばりの死はオフクロにとっては大きなショックだったらしい。 そしてベルリンの壁の崩壊は、見ておくべきものを見ないで終わってしまったという悔しい思いを俺がした年でもあった。

 
画像 京都、平安神宮
 

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2023年2月 4日 (土)

あの日にかえりたい

 
 若い頃の俺は、歌謡曲にしろ童謡にしろ、ましてや洋楽は、歌詞の意味を理解して聴いてはいなかった。 メロディーだけで好き嫌いを判断していたと思う。 昭和30年代から40年代にかけての歌謡曲や洋楽で好きな歌はたくさんあるけど、当時の歌で、意味を理解して聴いたのは 『喝采』(1970年、昭和45年)くらいじゃないだろうか。

 
Aoy_009ff  『あの日にかえりたい』 荒井由実の1975年(昭和50年)リリースのこの曲、歌詞を深読みしたのは40歳を過ぎてから。

 青春の後ろ姿を人はみな忘れてしまう

 青春の後ろ姿ね、振り返ってみる年になって、やっとこの歌の歌詞の意味がわかりましたよ。

 
 急にこの歌が懐かしくなったのは、この前、大学時代の仲良しが7年ぶりに集まって 『あの日の頃』 を検証し合ったからだろうな。 「スキーに行った帰りの車、正面衝突したよね」 と、それはみんな憶えてた。 けど、そこからどうやって帰ったかは誰も憶えてなかったんだよね。

 
 忘れてしまいたいことは忘れてしまってるけど、憶えておきたいことは憶えてる。 それも綺麗に修飾してね。 あの頃のわたしに戻ってあなたに会いたい。 その 『あなた』 も、きれいな部分だけが残ってる。

 
画像 2010年、東京、渋谷にて
 

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2023年2月 3日 (金)

丸4年

 
 大阪に引っ越して来て、明日で丸4年。 その時のブログを読み返してみました。
 
 
 4年前、2月2日のブログ
 
Osj20_4324f  今回の引っ越しは “引っ越しすることが目的” の引っ越し。 今まで経験した引っ越しは転勤だとか転職だとか、まず仕事、があった訳だからちょっと異例。 仕事を辞めるにあたって、そして仕事を探すにあたってはそうだとは言えないから、実家の都合でということにしてある。
 
 実は今回の転職には多くの人が動いてくださった。 勤めてた会社の俺の雇用形態は ”転勤がない” という条件の雇用。 それを転勤という形の移動を実現させようと、ほんとたくさんの人が動いてくださったんだ。 結果はやはり規定どおりでダメ、退職して、そして新規雇用という形になってしまったんだけどね。
 
 最後の日に総務課長に挨拶に行って社員証と健康保険証を返したんだけど、その時も退職の再考を促された。 名古屋の本部の担当はわざわざ会いに来てくださった。 名古屋の本部の前任の担当は本部への移動を考えてみないかと言ってくださった。 その電話では、嬉しくて、さすがの俺も涙が出たね。
 
 さて、今日からしばらく、たぶん2月12日、引っ越した先のインターネットの環境が整うまで、ブログはしばらくお休みです。
 
 
 たくさんの方のご苦労を、ちょっと忘れてました。 そのありがたさを噛みしめて、明日からまた頑張ります。
 
 
画像 大阪城にて
 

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2023年1月22日 (日)

なぜ結婚しなかった?

 
 ゲイだから? じゃあ、同性同士の結婚が認められてれば結婚したか? どうだろうね。 結婚しないまでも、ひとりの人とずっと長く付き合っていけたか? というと、現実はそうはなってないから、結婚はしなかったと思うね。 長く続かない? 今の時代、結婚しても短い期間で終わるカップルもけっこういるから、何も男×男の世界だけのことじゃないんだろうな。

 
12tyo_6735f  そうは言っても、長く続けたい、と思った相手はいたことはいたんだよ。 まあでも、続かなかった。 俺がそう思う相手に限って、向こうがそうは思ってなかったんだよな。 振られて終わった。 上手くはいかないもんなんだ。

 
 後悔してる付き合いがある。 俺はいい関係だと思ってたんだよ。 付かず離れずでね、それでも週に2~3回は俺のところに泊まりに来てた。 休みの日にメシを食いに行ったりドライブに行ったりね。 何年くらい続いたんだろう? 10年くらいかな。 俺は付き合ってるという意識はなかったんだけど、たぶん相手もそうは思ってなかったと思う。

 
 でもね、あれが、付き合うってことなんだ、というのは今はわかる。 もう、会わなくなって15年くらいになるかな。 いつでも会える、という気持ちを持ったまま、連絡しなくなってしまって今に至るわけだ。 もっといいものがあるはず、もっといい人がいるはず、という思いが俺の頭の中に耐えずあることが、長く続けられない一番の原因だな。

 
画像 東京、渋谷にて
 

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2023年1月18日 (水)

教訓

 
 阪神淡路大震災の時、俺は大阪の梅田にいて、次の日が仕事だったからとにかく帰ることを必死で考えて行動し、夜には東京に戻っていた。

 
 東日本大震災の時、俺は東京の渋谷にいて、とにかく早く帰るように手段を考えて行動し、帰宅難民にはならなかった。

 
Aks_4946f  自分は自分で守る。 神戸の地震で得た教訓を東北の地震でも生かした。 これは、小学校時代の避難訓練から得た教訓なんだよな。 俺が通ってた小学校は1934年(昭和9年)の室戸台風で校舎が倒壊して多数の児童が死んでしまったという負の歴史を持ってるんだよ。 そのために月に一度くらいの頻度で避難訓練があって、その教えがしっかりと身に付いてた。 中学の時の授業中に比較的大きな地震があって、揺れた瞬間に机の下に潜ったのが俺が通ってた小学校の出身者だけだった。

 
 東日本大震災で亡くなった方の死因、トップは溺死、それも92.4%もの人がね。 そりゃあ、あれだけの大津波が襲ってきたんだから、なんだろうけど、それでも逃げて助かった人も大勢いらっしゃる。 阪神淡路大震災で亡くなった方の死因の80%近くは圧死と窒息死。 家が潰れるて、は仕方ない、せめて家具の下敷きにならないように予防する。 そしてとにかく逃げる。

 
画像 明石海峡大橋
 

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2023年1月 7日 (土)

1989年

 
 34年前、1989年の1月7日は昭和が終わった日ですね。 この日は早朝から車を運転して伊勢神宮へ出かけて、伊勢神宮の内宮に着いて、いつもと違う雰囲気で、初めて天皇が亡くなったことを知りました。 6月には天安門事件、さらに美空ひばりが亡くなって、ベルリンの壁が崩壊したのが11月でした。 翌1990年にドイツがひとつになって、さらに翌年のソ連崩壊へと繋がっていく。 1989年の1月7日は、世界が大きく動いていく始まりの日でした。

 
Ise03_1243f  そんな頃の俺はというと、ゲイとして生きていく、と決断した時期です。 付き合うのは女性、男とは映画館の中だけ、という生活から、ハッテンサウナ、ゲイビーチ、ゲイバーへとゲイとしての生活の領域を増やしていってと、1989年はそんな時期でしたね。

 
 ゲイとして、と決断せず、流れのままに生きていたら結婚をして子どもが出来て、ひょっとしたらもう孫がいるかもしれない。 Twitterを見てると既婚の人が大勢いらっしゃるのに驚くんだけど、俺も何食わぬ顔で 『秘密厳守』 でハッテンサウナに通ってるかもしれないね。

 
 今日、Twitterで知り合った風呂好きな人といっしょにスーパー銭湯に行って、湯船に浸かってボォ~っとしながらそんなことを思ったりしてました。 まあね、白黒をはっきりさせたい、という俺の性格からはそんな都合のいい生活はあり得ないんだけど、流れに乗って違った道を選択していれば、俺の性格も変わったんだろう、と思った一日でした。

 
画像 三重、松阪にて
 

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2022年12月22日 (木)

5年目

 
 2018年の12月に始めたこのブログ、5年目に入りました。 ブログを書き始めてから通算すると18年目ですね。 ブログは四つ目、俺自身の大きな転機の度にタイトルを替えて続けてます。 4年前の12月はというと、付き合って、同棲していた関係を解消して、ひとりに戻る決心をした頃ですね。

 
Sk22_7901f  さてこのブログ、ひと月前から、ほぼ毎日書いてますね。 正直言って、意地になってます。 19、20日の二日は旅行に出てて抜けたものの、今のところは連続してます。 まあそれも、またどこかで抜けると思います。 そうそう書くこともなくなるんじゃないかと思うしね。

 
 ただね、飾らず、思ったことを正直に書いてます。 伏字をやめて、たとえば塩屋とかチンポとか、今までは〇〇と、検索されないように書いてたのをやめて、そのまま書くようにしました。 開き直り、ですね。 世間体、というものは気にした方がいいんだけど、他人に害が及ばない限りは、あからさまに書きましょう、と思ったということです。

 
 思えば俺は、人の目を気にし過ぎるほど気にして生きてきましたね。 何事も一生懸命やる、ようにしてるのは、後ろ指をさされたくないから、です。 まあね、人は誰もがそうなんだろうけど、結果自分が損をする、ってことには最初から 『NO』 と言うようにしようと思います。 もうちょいわがままでもいいかと思うし。

 
画像 京都、大徳寺にて
 

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2022年4月 2日 (土)

褌 俺の褌の歴史

 褌を締めてる人はテレビなんかでは見たことがあったけど、実際に目の前で見たのは小学生か中学生の時、近所の左官屋さんの御主人が銭湯で越中褌、が最初だと思う。 六尺褌は、というと、古本屋で見た風俗奇譚という雑誌のグラビアでだと記憶してるけど、実際にとなると、友人の彼氏さんが締めてる姿じゃなかったかと思うんだよね。 1990年頃かな。

 
Ky009f_20220401115401  先日 『最近は褌の話題が見られない・・・』 というコメントをいただいて、何を書こうかいろいろ探したんだけど、なんせ最近は六尺を締めてないので書くことがない。 それで、何度か書いてきてるんだけど 『俺の褌の歴史』 を纏めて、改めて書いてみようかと記憶を手繰ったら、初めて締めたのが1995年だったか’96年だったか、という具合に、記憶だだいぶあやふやになってきてしまってるんだよね。

 
 たぶん、1996年の夏の終わりの頃、だったと思う。 付き合いだした彼氏の部屋の引き出しの中の赤い布、それが 『赤褌』 だったんだよね。 その場で締めてもらって、いきなりハマって、自分のを買って、仕事が休みの日とか帰ってから締めるようになって、そのうち毎日締めるようになって、その年の冬には仕事に行く時も締めるようになるまでになったのは確か。

 
 俺の褌の歴史を数回に分けて語っていきますね。 初めて締めてから今年で27年目、27年前の俺はまだパソコンを持ってないし、もちろんスマートフォンもまだない時代。 褌の情報を得る手段は、ゲイ雑誌か、ゲイの先輩たちの話しかない。 そんな時代に、ああでもないこうでもないと、締め方の研究(笑)に没頭した日々が、懐かしい。

 
画像 写真集、渾雄より
 

2022年3月25日 (金)

ニューヨーク

 初めてニューヨークに行ったのは1983年3月18日から27日までの8泊10日。 39年前の今日、3月25日はユーヨークにいました。 憧れだったんだよね、ニューヨーク。 東京、ニューヨーク、ロンドン、香港、大都会を見てみたい、って憧れを、子どもの頃からずっと持ったたんだよ。

 
Nyc83_010 ニューヨークの天候が悪くて、フィラデルフィアの空港にいったん着陸して天候の回復待ち、ニューヨークのJFK空港に着いたのは深夜だった。 そこから、たまたま飛行機の中でいっしょになった千葉大学の教授って人にタクシーを同乗させてもらって、マンハッタンのパンナムビルの前で降ろしてもらって、そこでタクシーを拾って予約してたホテルへ。 初めての海外ひとり旅で、マンハッタンでいきなりタクシーって、凄い勇気だよね(笑)

 
 自由の女神像とエンパイアステートビルと貿易センタービル、この三つが目的だったんだよ。 特に自由の女神像は、エジプトンピラミッド、イタリアのピサの斜塔と並んで、絶対に行ってみたいところだったね。 着いた日の翌日、泊ってるセントラルパーク近くのホテルからマンハッタンの南端のバッテリーパークまで歩いて行って、そこから船に乗ってリバーティーアイランド。

 

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あれから39年にもなる。 いま思うと、あの頃は凄く勇気があった。 自制心とか羞恥心を好奇心が覆い隠してたんだな。 世間知らずで恥知らずだったから何でも出来た、とも言える。 歳をとって後先のことを考えるようになった。 それはいいことなんだろうけど、その分、やらないで済ませて、後悔することが多くなったような気もする。

 
画像 ニューヨークのブルックリンブリッジとワシントンのホワイトハウス
 

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