お休みします
このブログ、noteに移行してしばらくはお休みします。
note https://note.com/orenokakotoima/
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俺が使ってるこのニフティーの『ココログ』、この12月で20周年なんだそうだ。 俺がブログを書き始めたのが2005年の7月からで今が18年目だから、けっこう早い時期から使ってるんだね。 20年前ってのはブログのサービスが始まった頃。 ブログ=ウェブと(データ)ログを合わせた造語。
俺が書き始めた18年前はというと『mixi(ミクシィ)』が全盛だった。 SNSはmixiしかなかったんじゃないかな。 当時はmixiをやってる人に紹介してもらわないと始められなかったし、誰もが見られるってものじゃなかった。 俺はそこが物足りなくて、誰もが見られるものを書きたい、って欲望からブログを始めたんだよ。 ホームページを作るのは素人では難しかったし、そこに誰もが簡単に始められるブログが登場したんだね。
いろいろ試してみたね、無料のヤツをね。 いまこのココログは有料のを使ってるけど、当時、無料でやってるやつで使い勝手が良くて、何より画像の添付が簡単で自由度が高かったのがココログなんだよ。 画面もきれいだったし、それでこれに決めたんだな。
今年に入ってサボり気味、というかほとんど書いてなくて、そろそろ腰を上げないとこのままズルズル行ってしまいそうでね、何とかしなきゃとパソコンに向かいました。 これを書こうかあれを書こうか、どうかこうか、考え過ぎだったんだよね。 初心に返って思いつくままに、って感じでやっていきますかね。
画像は18年前にアップした最初の画像
このブログ、突然毎日書き始めて一週間、こうなると 『続けなきゃ』 というプレッシャーがかかるわけだけど、まだそれに負けてません。 この話題で書きたい、これを訴えたい、という欲望は変わらずずっとあって、書かないでいる期間ってのは、何をやるのもめんどくさい、という時期なんだよね。 そのめんどくさいって期間は時々あって、メシを食うのもめんどくさい。
ブログを書き始めたのは2005年の7月7日、ということは今、18年目だ。 当時は 『mixi』 全盛期でしたね。 俺も毎日読んで書いてた。 でも、繋がる人が増えていくに連れしがらみもから 『書けない事』 が増えていったんだよね。 それで、誰が見てるかわからない、ただ一方的に書く場が欲しくて始めたのがブログだったんだよ。
それでもやっぱり長くなるといろいろ考えることが多くなってきます。 以前、このブログの読者の方を集めてオフ会はしないのですか? と尋ねられたことがあったんだけど、書き手と読み手はあくまで書き手と読み手のままがいいという思いが強くて断ったことがあるんだよ。 書いてる途中に読み手の方の顔が浮かんでくると、たぶん書けなくなると思うんです。
この一週間、けっこう遠慮なく書いてます。 コメント欄を何で無くしたか、なんてのは、以前は書きたくても書けなかった。 それを思い切って書いてみて、やっと正直に書けるようになって、それで筆が進んでるわけです。
画像 大阪、新世界にて
以前 『別冊、艶話』 というタイトルで、エロい物語を書いていたことがあるんですが、憶えていてくださる方はいらっしゃるでしょうか? 『龍生』 という主人公の性体験、セックス体験を書き綴った、架空の物語でした。 その原稿は今も残っているんですが、ブログを公開するためのアクセスキーを忘れてしまい、お見せ出来ずにいます。
『龍生』 という主人公、モデルは 『俺』 です。 物語の内容の大筋は 『俺』 の実体験です。 俺の実体験を、ある時はそのままに、ほとんどは誇張からの想像で作り上げたエロ話でした。 書き始めたのは2006年、実はその数年前に、あるゲイ雑誌の編集の方から 「実体験を雑誌にコラムのような形で書いてくれないか」 という話があったんです。 その話は、ほどなく雑誌自体が休刊してしまったので日の目を見ずに終わったんですが、その時の原稿を元に書き足してブログに発表したものでした。
そのブログの最後が2008年の5月。 なぜこの時で書くのをやめてるのか? そう、俺自身の生活の大きな転換点に差し掛かる、その直前なんですね。 エロ話を書いてるどころじゃない、って時でしたね。
それから14年が過ぎて、先月、ある人が書いてる、たぶん架空のエロ話を読む機会があって、「そうだ、俺も書いてたよな・・・」
復活させようと思います。 幸いにも以前書いた原稿はすべて残ってるし、それをコピー&ペーストすれば復活させることが出来る。 せっかくだからちょっと加筆したり修正したりして、面白い読み物にしようか、と欲が出てきております。
ブログをやめてしまう、TwitterなんかのSNSを閉鎖してしまう理由は人それぞれ、いろいろありますよね。 政府政権へのもの、野党へのもの、権力を持ってる人へのもの、芸能人、話題のお店、流行ってるお店なんかへのものも必ず現れる。 調べてみると、誹謗は人の悪口を言う、中傷は根拠のない話で人を貶める、だそうだ。
SNSを多くの人が利用するようになって、為になる情報もたくさん、そして簡単に手に入れることが出来るようになったけど、誹謗や中傷の類を目にすることも多くなった。 中には、誹謗中傷をするためにSNSをやってんじゃないか? と思いたくなる人もいたりね。 ストレスの発散? そうだね、それのひとつの手段でもあるよな。 Twitterを見ながら俺も、たまに皮肉っぽく書くこともある。 『何言ってんだろ、この人バカじゃないの?』 って頭の中だけで思うことなんてしょっちゅうあるよ。
でもね、書いた後、しばらくしたら、削除するんだよね。 書かなきゃよかったと後悔するから消すってんじゃなくて、書いた、という事実だけで満足するんだな。 誰かに読んでもらいたいから書く、ってんじゃなく、ただ書いただけで、それで自分の気持ちが落ち着くわけだ。
このブログのコメント欄をしばらく閉じてました。 いただいたコメントが、誹謗中傷とまでは言わないけど、読んで、普段なら一晩寝かせれば気持ちは落ち着いたんだけど、気持ちの落ち込みからの回復が長くかかるようになってたからなんだな。 気持ちに余裕がなくなってたんだろうね。
画像 大阪、中津にて
俺ね、子どもの頃は本を読む習慣がまったくなくてね、たぶんそれは家族や親戚といった身近な人たちに本を読む習慣がなかったことから来てるんだと思うんだけど、その頃に当然のように読んでおくべき本を読んでない、という後悔がずっとあるのね。 読むようになったのは高校に入ってからで、担任の先生が小説好きで、その先生の勧めで ”星新一” に接したのがきっかけだったと思う。
嵌まったのは、やはりその先生のお勧めで、井上ひさしの ”モッキンポット氏の後始末” を読んでから。 読みながら主人公のハチャメチャぶりに腹を立てたり笑ったり、そして泣いたりと、作り物の文章に感情移入する自分が不思議でね、そこから文学青年になっていったんだな。 でもね、その後しばらくしてからは、〇ックスの楽しさを覚えてしまって本から遠ざかるんだよ。 そして再び俺を本の世界に呼び戻してくれたのが、ジェフリー・アーチャーの ”百万ドルを取り返せ”。
いまこうしてブログを書いてるけど、書く文章ってね、その時に読んでる本の文章に影響されて変わるんだよね。 文章の言い回しが硬くなってたり柔らかくなったりと、読んでる小説の口語体に近い文章になるんだな。 古い、たとえば太平洋戦争前に出版された小説を読んでると、書く文章が文語体っぽくなるしね。
知識、雑学を広めるには ”読書” はすごくいいツールだと思う。 書く文章も上手くなるだろうし、話題も多くなって、話し上手、そして聞き上手にもなるんじゃないかな。 そうそう、ちょっとオーバーな言い方だけど、俺の人生に大きな影響を与えたのは、山岡荘八の ”徳川家康” 文庫本全26巻。 読了するのに一年以上かかったけど、完遂(かんすい)することが身についた小説だったね。
画像 広島、尾道にて
このブログのコメント欄、今月になって閉鎖しています。 ブログを書き始めて以来コメントは受けてきたんですが、思うところがあってやめました。 いずれ再開するのか、このまま受けない状態でいるのかは決めていません。
今までずっとコメントを受け続けてきたのは 『精神修養』 のため、って理由が大きいんです。 実はいただくコメントのほとんどが俺が書いた文章を肯定する内容のものじゃなく 『否定』 か 『意見』 か 『自分(コメントを書いてくださった方)に起こった出来事の開陳』 なんです。 その否定文、意見文、自己開陳文に即行で回答すると、どうかすると喧嘩になるようなものを書いてしまいます。 即回答するんじゃなく、一度グッと呑み込んで、気分の収まるのを待って、何でもない文章を返します。 気分を落ち着けて角が立たないようにする、だから精神修養の場なんです。
まあでもブログもそうだし、TwitterをはじめとしたSNSというものは、今やストレスの発散場所、と化して、元ネタを書いた人の文章を借りて自分の意見をいう場になってます。 正直言って「その考え、最初から自分のものとして書けよ!」と思います。
先日 「さあ、このコメントにはどう返したらいいもんか」 と悩むコメントが書かれました。 これは実に的を得てたコメントだったので速攻で回答してます。 ブログというものが登場して日本で普及しだしたのが’02年頃で20年近くになろうとしています。 その間に、このコメントの悩みの問題に直面してブログをやめてしまった、ってブロガーは多いんじゃないかと思っています。
画像 雲と空
今、リリー・フランキーの “東京タワー” という小説を読んでます。 出版されたのは 2005 年と書いてあるから、確か出版されてすぐに読んでるから 15 年ぶりの再読。 内容は、俺の中にまったく残ってないですね。 見事に忘れてるけど、感動した事だけは憶えてて、それでもう一度読んでみようと手に取ったわけです。
15年ぶり、というと、俺がブログを書き始めた時なんですよ。 この本の出版が2005年6月、俺のブログの始まりが2005年7月。 偶然なのか、この本を読んだから俺も何かを書いてみようと思ったのか。
と、ここまで書いて思い出したんだけど、この本を読んでみようと思ったのは “東京タワー” という題名だから?。 俺がブログを書く直前まで付き合って同棲してたヤツと初めて喧嘩した後に、何とか仲直りしようと 「出かけようか、どこか行こうよ」 と俺が言った時の彼の返事が 「東京タワーに行きたい」 で、それ以来彼とはよく東京タワーに行った思い出があったからの “東京タワー” かも。
またその小説を読んで、最近はブログをあまり書かなくなってしまってるから、題材として俺の過去、を持ち出してみようかと思いだしてます。 時系列に、は無理だからまあ、思いつくままにね。
画像 大阪、梅田にて
ブログを書き始めて今年の7月で丸14年。 12月の今は15年と半年目です。 その14年前の12月のブログ、友人の彼氏が死んだ、ってことを書いてるね。 この友人、このブログではコッテリ君と表現してるんだけど、読んでみて思い出したけど、当時の俺はこのコッテリ君が好きだったんだな。 コッテリ君から 「彼氏が死んだ」 と電話がかかってきた時、不謹慎ながら、俺への電話が嬉しかったのを思い出したよ。
誰かに傍にいて欲しかった、んだと思うんだよね。 言ってしまえば、事情を知ってる人なら誰でもよかった。 んだろうと思う、けど、俺なら 「今すぐ行くよ」 と断らないのもわかって電話してきたんだと思う。 俺が、自分(コッテリ君)を好きだ、ってことは知ってただろうから。
ってな具合に当時は “今” 起こってることを生々しく書いてるね。 それが今は “評論” を書くブログになってしまってる。 と常々思うんだけど、なかなか元には戻らない。 生の俺を伝える、ってのが来年の課題だな。
このブログの “お勧めブログ” の欄に、俺が以前書いてたブログ 『49の嘘』『51の約束』『日々雑感』 をリンクさせました。 線引きして、過去は過去、にしてしまおうとわざと紹介しなかったんだけど、かつての俺を、自分でも読み返してみようとの思いでね。
画像 東京、神田にて
このブログ、ココログの書き方、画面の作り方が変わってから2週間、サポート・ヘルプの欄にはトラブルの報告が絶えません。 俺のこのブログも、載せる画像の大きさの調整が面倒になった、画面の左側に載せている画像のサムネイルが更新されない、って問題を抱えたまま。 サポートページの掲示板には 『変更した目的は何ですか?』 『ほかのブログへの引っ越しを考える』 ってなものも出始めました。
確かにね、はっきり言って、改善、改良と言った、利用者にとってのいい方向への移行が何ひとつ見つからない。 niftyやココログにとっては何らかの価値が生じてるんだろうけどね。
話は変わるけど、俺が利用してる京阪電車は、数年前に車両のカラーリングの上下を入れ替えたんだよ。 窓から下が濃い緑色だったのを上に持ってきて下を白にした。 もうずいぶんになるけど、未だに俺は馴染めない。 新しく作ったものならすんなりと受け入れられるんだろうけど、変更となると、圧倒的に斬新でないと受け入れるのは難しい。
長年慣れ親しんだものを変更する、ってのはひとつの賭けだね。 作る側が、こんなにいいものはみんなが喜ぶに違いない、と思って変更しても、いままでの“それ”が良くて利用してた人がどう判断するかはわからない。 深夜にやってたテレビの番組が人気だからと言ってゴールデンタイムに移行させたらポシャッちゃった、ってのよくあるよね。
画像 岡山、津山にて