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2007年8月11日 (土)

暑かった夏 心の中の戦争

 『安らかに眠って下さい 過ちは繰り返しませぬから』

 昨日の 暑かった夏 かつて戦争があった からのつづき
 

Heiwak01 “過ち” とは、何を指すのか。 その解釈は人それぞれだと思う。 俺は、原爆で多くの人が死ぬ羽目になったこと、そこに至ったすべての“まちがい”を反省することばだと受け取っているんだ。

 終末に至った根本の原因は、反省をしないといけない。 その根本の原因とは、俺は“無関心”と“責任逃れ”ではなかったかと思う。 戦争必至の世論の中で否を唱える勇気のある人は、それこそ命がけだったろうと思う。 そんな人を異端視して蔑む人がほとんどだったろう。 俺は、そんな人を明らかに弾圧する人はまだ自分というものを持っている、それなりに存在感のある人ということができるという意味では認める存在の人なんだ。 心配なのは、理解はするし賛同もする、でも、自分は矢面には立ちたくないし、ましてや巻き込まれるのも御免こうむる、という人。 結果が出てから 『ほら見ろ、だから言ったんだ』 と、平気でじゃんけんの後出しをする人なんだ。

 ちょっと話は逸れるが、参院選が終わって今になって、自民党が選挙に負けた責任はすべて党首にある、と自民党の中で声高に叫ぶ人がいる。 彼らは、自分の党が負けた責任は自分にもある、という考えは持てないんだろうか。 自分が足を引っ張ったから負けた、自分がもっと一生懸命やっていたら勝ってたかもしれないと、反省する気持ちはないんだろうか。 果たして彼らは、被害者なのか?

 
 さて、戦争。 親父が戦争について何も語ろうとしない、そこには、俺は、親父が 『俺にも責任はある』 と思っていたんじゃないかと思うんだ。 原爆でたくさんの人が死んだ、そこに至る根本の部分で自分も何かしらの行動を取っていれば、今ある結果は招かなくても済んだのではないかと、思っていたのではないかと思うんだ。 だから何も語ろうとはしなかった。

 そう考えているのは俺の親父だけではなく、あの時代に生きた人すべてが、そう思っているのではないかと思うんだ。 だから 『過ちは繰り返しませぬから』 という文字が刻まれることになったんだろうと。

 
 明日につづきます。

 
画像。 長崎・平和祈念像。
 

 

Bw0284 日本人は昔から、お上の意向には逆らわない、というふうに育てられてきたのかな。 自由に主張できる今の時代になっても、その傾向は変わらないみたいだな。 体制に従う、ね。 その特性を垣間見るのが、エスカレーター。 右側が空いているのに左側に立つために延々と行列を作る。

 

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