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2007年8月10日 (金)

熱い夏 かつて戦争があった

 先日、原爆について友人と話す機会があったんだ。 その話の中から、戦後60年が過ぎた今になっても被爆者の方たちへの補償とか、韓国や中国など、かつて日本が植民地としていた地域の人たちへの償いの問題が、なぜまだ問題になり続けるかを垣間見たような気がしたんだな。 それをちょっと書いてみようと思うんだ。
 

 俺の親父は終戦の時は、二十歳をちょっと過ぎた頃。 俺の二十歳の頃に照らし合わせて考えてみれば、さぞ窮屈な思いをして過ごしていたんだろうと想像する。 言いたいことが言え、その反対の無関心でいることもできる今の時代と違って、無関心でいなければならなくて積極的を装わなきゃならない時代に多感な青年時代を過ごした親父の心境は、測るべくもない。

 戦争中、親父は、航空機を製造する会社の仕事に関わっていたらしい。 終戦時は九州のどこかにいて、派兵されるのを待っていた身だったらしい。

Tour_20 『・・・らしい』 と書いたのは、俺は一度も、親父の口から戦争中のことを聞いたことがないからなんだ。 親父の戦友という人が酒に酔って話しているのを横で聞いてたこととか、親父の従兄弟が戦争中の話をする中に親父が出てきたりとかして知ったことしかないんだな。 お袋が死んだあとの親父はちょっとボケが来ていて、それをいいことに聞いてやろうとしたことがあったけど、それでも言わないで死んでいったよ。

 だから、親父が戦争についてどんなふうに考えていたかは、他の話の内容や戦争についてのテレビの番組を見る親父を観察して、俺が勝手に想像するしかなかったんだ。

 
 『安らかに眠ってください 過ちは繰り返しませぬから』

 広島の平和記念公園の原爆死没者慰霊碑に刻まれた碑文です。 中学二年のときに初めてこの碑文を目にしてからずっと、俺の頭の中からこの文章が消えないでいるんだ。 『過ちは繰り返しませぬから』  これを読んだときに俺の中に、加害者としての日本人という意識が生じたのではないかと、今になって思うんだ。

 それまでの俺は、戦争というのは国家が犯した罪で、その国に生きてる人といえどもすべての人が“当事者ではない”という感覚を持っていたんだ。 国が決めた進路には抗えない。 抗うということは死をも招くこと。 なら、抗わず、諾々と生きていくしかないではないか。 だからすべての人が積極的に関わったわけではなく、なので加害者ではないという考えだったんだ。

 明日につづく

 
画像。 広島・原爆戦没者慰霊碑。
 

 

65646 俺は結構わがままに生きてる。 望むものは手に入ると思ってる。 ほんと、わがままだと思うのだけれど、そのわがままを通すために努力はしてるつもりだよ。 望むものを手に入れるために、一生懸命やってる、つもりでいる。

 

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