清原和博
天気予報では夕方から夜にかけて強い雨だったんだけど、実際にはほんのお湿り程度。 おかげで蒸し暑い夜を迎えている東京です。
清原引退。 忘れられないのは’87年の日本シリーズ、あと一勝、あとアウトひとつで優勝というときに、守っているファースト守備位置で涙を流しはじめたシーン。 相手は読売ジャイアンツ。
’85年のプロ野球のドラフト会議、日本中の誰もが 『清原を指名するのはジャイアンツ』 と思っていたはず。 それがなんと、読み上げられた名前は、桑田。 桑田はプロ野球には行かず、早稲田大学に進学するものと誰もが思ってたところへの指名で、清原を当てたのは西武ライオンズだったんだな。
清原はジャイアンツで野球がやりたかったんだよな。 子どもの頃からの憧れの巨人で野球をやると、日本中の誰もが信じて疑わなかったんだよな。 桑田に裏切られたと思ったんじゃないかな。 『もう野球はやめる』 って思ったりしたんじゃないかな。 阪神タイガースならまだしも・・・、って思ったと思うんだよな。 それでも彼は西武に入った。 そして一年目から活躍して新人王のタイトルを取るんだよ。
涙を流したのは二年目。 俺思うんだけど、清原の野球人生はこのときに終わったんじゃないかと。 ジャイアンツで野球をやるために野球を続けてきて、その夢があっけなく砕かれて、そして次の目標のジャイアンツに勝つということも早々に実現した。 清原は打者としてのタイトル、打率、安打数、本塁打の三冠のタイトルは、ひとつも取ったことがないんだよ。 後年になって憧れのジャイアンツに入ったけど、もう遅かったよな。
清原が三冠のタイトルと無縁なのは意外でした。
ただ最初に入団したのが西武だったからこそ
「いつかは巨人に・・・」を胸に、
大活躍出来たのでは・・・と思います。
僕の中では清原は「巨人の選手」でなく
今でも「西武の選手」なのです。
投稿: ごんべえ | 2008年8月20日 (水) 14時50分
ごんべえさん。
関西出身の人って、東京に馴染める人とやっていけない人とが
はっきり分かれるように思うんです。 清原は後者だったんじゃ
ないかと思うんですよ。 その意味ではジャイアンツにいても同
じ結果だったかも。
投稿: 達 | 2008年8月20日 (水) 20時26分