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2009年8月 6日 (木)

過ちは繰り返しませぬから

 ものすごく蒸し暑い一日でした。 東京湾岸にたくさんの高層ビルが建って海風を遮り、都市の熱の逃げ場がなくなったんだそうです。

 
 広島の原爆資料館に行ったのは中学の2年生になる直前の春休み。 叔父の実家がある広島県の呉市に遊びに行ったとき、叔母に無理を言って連れて行ってもらったんだ。 入り口で、

 「私はここで待ってるから、ひとりで行ってきなさい」

 
Gum09_290f_2 昭和20年8月6日、叔母は十代の中頃。 朝、家を出て道を歩いていると突然目の前で光が爆発して、近くに爆弾が落ちたんだと思ったんだそうだ。 叔母から聞いたのはそれだけ。 俺の親父は戦争の話はまったくせずに逝ってしまったけど、叔母もそれ以上は話そうとしなかったんだ。

 
 一時間ほどで出てきたと思うんだ。 ここで待ってる、と言ったところに叔母はいた。 縁石に座って日傘を差した叔母の背中を俺は忘れることはない。

 
画像。 グアムにて。
 

 

Vdg006 資料館の中にあった、酒だかビールだかのビンが熱で溶けてくっついて、口の部分の丸いところが並んでいる展示物。 それを見て以来俺は、同じ大きさの同じものが規則正しくたくさん並んでいるのを見ると、背中がぞくっとして鳥肌が立つ。 ビールの空き瓶がラックに入って並んでるのを真上から、蜂の巣、水面に雨が絶え間なく落ちる光景。 見たくない。

 

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コメント

初めてコメントさせて頂きます。達さんと同じ50際代でどちらかと言うともう60に近いのですが、いつもブログ拝見させて貰ってます。
何か共感出来ると言うか、頷けることが多いのは同じ年代を過ごして来たからかなぁと思います。
大学出て広島に3年赴任しておりましたので、平和祈念館には行ったことがあるのですが、赴任中二度足を運ぶことはなかったです。平和公園には昼休みに昼寝しに行きましたが、いつも素通りしてました。 あまりにも悲惨で凝視出来なかったのを覚えています。
これからもブログ読ませて貰いますので頑張って下さい。

 
 kankororinさん。

 今年、40年ぶりに行ってみようかと思ったりしています。 見る勇気はあまりないのですがね。

 コメント、ありがとうございます。 中年から老年に至ろうとしている男の心情を、これからも書いていければと思っています。 よろしくお願いします。

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