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2010年4月14日 (水)

褌の事件

 雨が降ったり晴れたり、半袖でいい日もあればコートがほしい日も。 東京は、不安定な天気が続いています。

 
 女性のキャミソール。 あれは犯罪だろう。 下着のシュミーズとどう違う? 茶髪の女が片手にケータイ、キャミソールをひらひらさせてミュールの踵をカンカン鳴らして階段を下りようものなら・・・。 ノンケの男はどう思ってんのかなぁ。

 
Knd09_038f 上半身裸で車を運転した男が、中学生を呼び止めて褌姿を見せた。 それで書類送検、停職、依願退職、だそうだ。 見せたのがパンツ姿だったらどうだったろうね。 話がここまで大きくなっただろうか。

 
 最近は、祭での六尺を禁止するところがあるそうだ。 ずいぶん前だけど、ハワイのワイキキでの六尺もだめだという噂を聞いたことがある。 プールでは、プールによって見解が分かれるようだね。

 なぜダメになるのか。 はっきりした理由は知らないけど、行き過ぎた人がいて、その行き過ぎを止めるために、ボーダーラインが引きにくいために普通のものも禁止されてしまう、ってことはあるんじゃないかな。

 ひとりやふたり、小さなグループならみんな見咎めないけど、六尺一丁の男たちが大挙して押し寄せたら、威圧感はあるだろう。 そこにいる大多数の人にしてみれば脅威だよ。 俺たちにしてみればなんでもないことでもね。 行き過ぎは慎まなきゃ。

 
画像。 東京、神田祭にて。
 

 

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 ひとりでは何も出来ないくせに、集団だと大胆に。 テロ、だな。

 

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コメント

こんばんは、お久しぶりです。
この事件を報じたいくつかの記事から分析すると、どうやら中学生に褌の中まで見せたようです。
そこまで詳しい報道が少ないのは、編集者にとって「褌の中」も「褌姿」も猥褻度合が同じという意識があるからではないかと思います。結果、褌そのものが違法のような報道になってしまったけれども、一般人には大勢に影響なし、といったところなのでしょう。
百歩譲って考えると、両当事者の今後のことを考えて寸止め記事にした、とも受け取れます。
六尺褌がどんどんマイノリティーになって、さらに事なかれ主義から来る事前規制がいよいよ立場を悪くしていくのは残念です。愛用者が、普段から使っている普通の下着あるいは水着、という自然なたたずまいを保っていかないといけないかと思います。

昨年夏、人の少ない海で六尺でおよいでも、警官が来て普通の水着にするよう注意されることがありました。

誰か通報したみたいです。
確かに行き過ぎた人が多いのはわかるけど、くだらないことですぐ通報して、自分たちの優越感を満たそうとする、特にばか女が増えてますね。

地元の高校の褌騎馬戦も、セクハラにあたると、女校長が禁じたそうです。

 褌の中身まで…だいたいそんなことなのではないかと思っていました。海で六尺で泳いで通報だなんて…。何がどうなっているのやら。
 ただ、我々も控えめに行き過ぎずと言うことを心がけなければならないと言うことも分かりました。いろいろと考えさせられる一件でした、

大多数の褌愛好者が悪意がなくても、たった一握りの行き過ぎた人たちのために犯罪者扱いされるのはたまらない。一人でも妙な人がいるとすべてが同列に見なされることはよくあります。公務員、医師、看護士、教員・・・ことを起こした後にその重大さに気づいたり、取り返しのつかない結果を(自分自身に)引き寄せているいわゆるエリートたちが最近はなんと多いことか。ちょっと冷静に考えればわかるはずなのに、その想像力・自制心の欠如が残念です。
「一人でも」は加害者側だけではなくて受ける側に対しても過剰に配慮されていて、曰く、たった一人でも不愉快に感じる人がいればその人を尊重するしかないんだと。黒石寺蘇民祭のポスター事件がまさにそう。こうして伝統が破壊されるのです。

最近は、ちょっとしたことで110番や119番する人が増えてるのは確かです。その上、何か対応しないと怠慢だとか職責をはたしてないだとか言われるのです。たから、何かしら対応しないと収まりがつかない。生きにくい世の中になりました。褌を見せられたり、中を見せられても今の中学生って親に事細かく話するんですかね。俺が中学生の時って、思春期で親と話しなくなってたし考えられない。親も、変な人がいるんやな、くらいしか思わなかったんじゃないかな。男なんだから、少々危険な目にあってもと思ってしまう。時代はかわったんですね。

褌はある意味、日本の文化伝統を感じますが、それもだんだん禁止の方向へ。なんか淋しい感じがします。じゃあ相撲のまわしはいいの?って思いますが。

日常で公の場での褌姿はともかく、祭の褌姿まで禁止するのは、いかがなものかと首をかしげてしまいます。
言うなれば、あれは祭という非日常のハレ舞台で身につける晴れ着や舞台衣装で、伝統文化の一端を担っている重要な小道具ですよね。


 二郎さん。

 お元気でしたか。 コメント、ありがとうございます。

 愛用者が下着や水着として自然なたたずまいを保つ。 これは、愛用者として大切な姿勢ですね。 肝に銘じます。

 
 たいぞうさん。

 臭いものには蓋、という解決方法がやたら目に付きますよね。 責任放棄。 さみしい世の中になりました。

 
 たいさん。

 実際には、中身まで見せた、というのが問題なんでしょうが、そこに褌というものを絡ませたほうが、読み物としてはおもしろくなる。 という気持ちがマスコミにあったかもしれませんね。

 
 ポチさん。

 たったひとりの人が感じ、思ったがために、すべての人がそれを取りやめる、というのを、今の職場でも何度か経験しています。 ただしそれを知った社長が、会社の存在意義や売り上げを考慮してでしょう、復活したり何らかのほかの方法が見つけ出されたりして解決されています。
 あたりまえの社会性のある社長でよかったと、そのたびに思います。

 
 くまさん。

 自分の足で立たず、自分すらを誰かに委ねてしまう。 そんな生き方で果たして楽しいのかどうか、その人の顔を見ながら疑問に感じる毎日ですよ。

 
 みのるさん。

 相撲もいずれスパッツを穿いてまわしを締める、って時代が来ると思いますよ。

 
 nahokuさん。

 時代とともに変化していくのも伝統だと思うんですが、やはり本来のもの、は忘れてはいけないですよね。

最近このブログ知りました。
これからも楽しみにしています。

今の世の中、何か変ですね。伝統的な褌をどうして禁止なんてするのでしょう。
本来の意味を超越して、単に時代にそぐわない的な理由で禁止されては文化を守る意味でも本末転倒なことばかりです。
いちいちくだらない批判に翻弄されるのも何か毅然とした筋をもってない今の日本政府を象徴しているようで残念です。

 
 いっせいさん。

 くだらない批判、そして迎合。 ほんと、毅然としたものが今の日本にはないですね。

 コメントありがとうございます。 これからもよろしくお願いします。

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