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2010年8月 6日 (金)

過ちは繰り返しませぬから

 
 今日も東京は、暑い一日でした。 青い空と白い雲、そして蝉時雨。 今年も変わらぬ夏、です。

 
 「私はここで待ってるから、ひとりで行ってきなさい」

 日差しが強く当たる縁石に座って叔母は俺が出てくるのを待ってたよ。 もう40年以上も前のことだけど、白いブラウスの叔母の背中を忘れることはない。Aoy_075f 原爆資料館に連れて行って欲しいと言った俺を、たぶん叔母は、資料館から俺が出てくるまでずっと縁石に座って待っていたんだろうと思う。

 
 住む家を出て道を歩いている時だそう。 目の前に焼夷弾だ落ちたんだと思ったのよ、と叔母。 広島に原爆が落ちた瞬間、叔母はそこから遠く離れた呉に住んでたんだそうだ。

 叔母はそれ以上、何も言わなかった。 親父が軍隊にいたことを知ったのは、親父の友人たちが戦争の話をしているのを聴いた時。 親父もお袋も叔母と同じように、戦争のことは何も言わずに逝ってしまったよ。

 
 国連の潘基文事務総長が広島の原爆の日の今日、平和式典に出られたそうだ。 原爆資料館にも行かれたそうだ。 アメリカのルース駐日大使もアメリカを代表して広島に行かれたそうだ。 そのニュースを見て、こみ上げてくるものがあったよ。

 
 いつか、アメリカの大統領が原爆資料館を訪問される日が来ることを願いたい。
 

画像。 東京、渋谷にて。
 

 

Hec020

 叔母もニュースを見ただろうか。

 

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経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

広島に住んでいたから、原爆の話はよく聞きました。達さんにその話を聞かせてあげたいです。今日は一年に一度会う人に会いに出かけます。

冷戦時代も過ぎてやっと世界的に核廃絶の機運が高まってきたのでしょうか・・。
戦争・・「誰も二度としたくない」のは異口同音ですね。
確かに親の体験談を聞くだけでその悲惨さが分かります。
小学生の頃は近くにまだ防空壕のあとがあり、常に戦争の跡が残っていました。何かにつけて、戦後○○年・・と言っていた記憶があります。
幸い近親者には犠牲者はいませんでしたが、遺族にとっては何年経っても傷は癒えませんね。
ただ自分にできることは、戦争のことを少しでも多く理解し、戦争の愚かさを主張することだと思っています。

こんばんわ。
今年広島へライブへ行ったついでに、原爆資料館へ行きましたが、
見てまわってるうちにあまりの悲惨さにこみ上げてくるものがありました。
以前は修学旅行で行きましたが当時はほとんど理解できませんでしたが、
大人になって訪れると、見方が全く変わるものでした。
これから日本は世界はどうなっていくんでしょうかね。

 
 
 とし君さん。

 この時期だけは風鈴を吊るします。 慰めるためにです。

 
 
 いっせいさん。

 二度としたくない、と思う世代がいなくなれば、その先はわからない。 怖い話ですけどね。

 
 
 がじゅまるさん。

 原爆資料館に展示してあった、並べて置いてあったビール瓶のようなものが熱でひとつに固まって、その塊の上にビンの口の部分だけが元の状態で並ぶ展示品。 あれを目にして以来、規則正しく同じものが並んだ光景を見ると鳥肌が立つんです。

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