9.11
昼ごろ、擦りガラスの窓の外、日差しが黄色くなってましたね。 黄砂がやってきたそうですよ。
通勤に使う電車の、俺の向かいに座った親子が広げている新聞の号外の見出し “オサマ・ビンラディン・・・” その親子、高校生くらいの男の子とお母さんの会話が途切れ途切れで聞こえてくる。 『この人を米軍が殺したとは書いてあるけど、この人がしでかした事件の詳細が書いてない』 若い人たちは知らないんだ。
もう10年なんだ。 あの日の夜、テレビに釘付けになってたよな。 俺はアメリカ人ではないし、あの日、日本がどうかなってしまったわけではなかったけど、ドカンとショックを受けたことは確かだったな。 ニューヨーク・マンハッタンの貿易センタービルには二度行ってる、ってだけの縁しかないけど、あの時テレビを観ながら、アメリカの人たちが受けたショックは計り知れないくらいに大きいだろうと、そのことがショックだったような気がする。
あの日アメリカは、アメリカが推し進める世界戦略の邪魔者をチカラで叩くという大儀を得て、そしてまた今日、世界の警察官としてのアメリカのチカラを振るう大儀を得て、これからも超大国であり続ける宣言を世界になした。 それに引き換え日本は、災難を政権延命の道具にして・・・、という奇麗事の御託を言う口先だけのやつ等の宣伝に、首をすくめてしまうのか。
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