捨てる
窓辺の温度計は24℃。 このまま窓を開けたまま眠ってしまうと、明け方はちょっと肌寒い。
仕事の帰りに銭湯で汗を流して・・・。 って気持ちがいいですよ。 仕事はいわばガテン系。 夏はもちろん、冬でも汗だくになるし、さらに手足が凍ったように冷たくなることもあるので、大きな風呂の銭湯は、ほんと、ありがたい。
今の仕事に就いてからは街の普通の銭湯に行くけど、以前の仕事は帰りが深夜だったので行くのはもっぱら繁華街のサウナ。 夕方の銭湯ででもいろんな人に出くわすけど、繁華街の深夜のサウナとなると、それはそれは・・・
刺青。 今時の若い人たちの刺青に対する印象、ってのはたぶん俺なんかの世代とはまったく違ったものなのかね。 身体にスミを入れる、って人はもう完璧のその筋の人で、って考えは、古いとわかっていても捨てられない。 そんな世代の俺が想像するに、入れようという決断って、ものすごいものなんじゃないのかな。 もう決して後戻りできない、いままでに獲得した何か大きなものを捨ててしまう、みたいなね。
深夜のサウナで、俺に背中を向けて座っている男を、この人も何かを捨てたのかと思いながら見ていたこともあったよな。
六尺褌で日焼けをする、って決断した時、ちょっとオーバーだけど、それまでの自分のいくつかを捨てる、みたいな感じだったね。 刺青を入れるほどの決断、って俺は入れたことがないけど、もう後戻りはしない、って決めたことは確かだったな。
画像は、拾い画。
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コメント
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そうですね、今の刺青に対する考えって軽くなってますよね。
実際オシャレ感覚ですし。
親からもらった体に傷をつけるなんて…って良く言われましたが、入れてみたい気持ちも分からなくもないです。
でも、何かを捨てなきゃいけないのは確かです。そこを踏み出せるかどうかですよね。
それを思うと俺は踏み止まってしまいます…
六尺で日焼けも、確かにそうですよね。
でも刺青とは別の意味でかっこいいです。
憧れます!!
投稿: ヒロ | 2011年9月18日 (日) 00時18分
刺青には子供の頃から一種独特の憧れと美意識を感じていて、それは六尺褌と一体化したとき俺は日本人に生まれて良かったと思えた瞬間であり、大人の入り口にさしかかったこを自覚しました。
人生を背負う刺青と若い人たちに好まれているtattooとは異質のものなのですね。あまりにドライな感じのものに見えてしまうのは年せいなのかも知れませんね
六尺褌も刺青も出来ない自分が情けなく悲しいですが、せめて達さんの男気に少しでも近づくことが出来ればとチャンスを探しています。
投稿: sarasi | 2011年9月18日 (日) 02時38分
俺は今年から海で白褌締めて焼いてます。何かを捨てる~俺もそれはありました!捨てるというより新しい自分になりたい!とは思いました。去年とても悲しい出来事があってかなり精神が不安定な時期がありました。その思い出は一生涯忘れられないことなのでそれに向きあうのは今も辛いです。白褌締めて気を引き締めて男らしい男になりたいと今は思います。達さん良ければ俺を応援してください。
投稿: 敦史 | 2011年9月18日 (日) 03時18分
ヒロさん。
俺は人一倍好奇心が強いのだと思います。 子どもの頃からずいぶんと向こう見ずだったな、と思いますね。 それが歳とともに、少しは社会性というものを考えるようになってきました。
六尺褌は、萎えてしまう気持ちを奮い立たせてくれる役割と、社会の中の一員であるからという自制心を気付かせてくれる役割の両方を、俺に与えてくれるように思うのですよ。
投稿: 達 | 2011年9月18日 (日) 07時59分
sarasiさん。
今思うと俺も、子どもの頃から刺青に対する“憧れ”のようなものはありましたね。 刺青そのものなのか、それともその筋の社会に対してなのかは判然としませんが。
たぶん刺青やその社会に“男”を見ていたのでしょう。 映画の影響が大ですけど(笑
投稿: 達 | 2011年9月18日 (日) 08時05分
敦史さん。
俺もキッカケは、変わりたい、というものだったのかもしれません。 と今になって思います。
あの頃は、あの頃までの俺は、自分がなかった、と言うとオーバーですが、絶えず誰かに影響されて生活をしてましたね。 自分で考えて、結論を出して 『これでいく』 ということをしたことがなかったかもしれない。
投稿: 達 | 2011年9月18日 (日) 08時10分