流れる
西の方ではすでに雨になっていて、東京もそろそろという空模様になってきました。 羽田を飛び立つジェット機の爆音、この時間はもう静かです。
もう何年も続いてる永田町のゴタゴタ。 民主主義は “数” の理論を疑わないひとりの政治家が政権与党を離脱して、せめてそのゴタゴタが我々庶民の目には触れないようになることを望む朝です。
思えばそのゴタゴタのはじまりは、ロッキード事件と金脈問題で時の総理が辞任した時のような気がします。 離党した数の理論者が師と仰ぐかの総理は散々マスコミに叩かれての退陣。 それ以来、どうもマスコミは政治を左右したがるようで、それに踊らされる政治家と我々庶民、という構図がもう40年ほど変わらずにある、という印象です。
ブーム、というものが、出来ていくものではなくて作られるものなのだ、ということを知ったのはいつだったんだろう。 それは、世間知らずの俺にとっては衝撃だったんだけど、いつの間には、世間の流れは操作されて、そして俺たち庶民はその流れに乗って、ってことを受け入れている俺がいる。 それはそれで諦めなのかもとは思うけど、刺々しく生きるよりも丸くいる方が楽しいような、と思うようになったのは、今までよりも、この先の方が短いと知ったからのような気もします。
画像。 神奈川、浜川崎にて。
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