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2013年5月11日 (土)

俺を演じる

 
 窓辺の温度計は21℃、雨が降り出しましたよ。 おとなりの庭の緑が瑞々しい、いい季節になりました。
 
 
 
 キャラクターを演じる、ってのは誰もがしていることなんですかね。 たとえば会社でとか家庭でとか、付いてしまったイメージと自分が思う自分とが違っていても、求められる役割を求められるがままに、って。
 
 

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 職場ではまじめな人で通ってる俺だけど、ちょっと “くそ正直” なところがあってね 『これ、誰にも言わないでね』 って言われたことは本当に誰にも言わない、ってのが子どもの頃からで、たぶん親にそう育てられたんだろうね 『約束はやぶったらあかんよ』 って。 なので、手を抜く、ってことを、めったなことがない限りやらない、っというか、できない。 だからまじめな人。
 
 
 でもその まじめな人 は、十分に その役割を演じている ってところがあるんだよね。 最初はまじめにする ⇒ まじめを期待されるようになる ⇒ まじめにやらなければならなくなる ⇒ さらに期待される、って図式ね。
 
 
 
 そんな俺だけど、自分に正直でいたい、って思いは強く持ってるんだよ。 海に行って六尺褌一丁で日焼けを楽しんでる、身体を鍛え、その身体をブログやSNSで公開している、ってのが本当の俺。 仕事中の俺からは、そんな姿は想像できないだろうよ。 役割を演じるのは楽しい。 欲望に正直でいるのも楽しい。 みんなたぶん、そんな裏と表を楽しんでるんだよね。
 
 
 
画像。 東京、六本木の美術館にて。
 
 
 

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 理想の自分を創る。
 
 
 

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コメント

達さん、こんにちは。周りから求められている役割にふさわしい言動をとる自分、そして、周囲の人たちが想像するものと全く違う振る舞いをする自分、それぞれいて良いと私は思います。ただ、社会で生きていく中で、法やルールに違反したり、他の人の人権を傷つけたりしないものであれば、いろいろな自分自身がいて、それぞれの自分を大切にしながら生きる事は良いのだと私は考えています。

達さん。こんばんは。達さんの言葉には一つ一つ説得力があります。
僕も今、高校にかよっているのですが。(私立だけど結構偏差値の高い学校なんですよ)それで僕はもう少しで柔道のインハイがあるんですけど。出場できるかどうか。一年の時と二年の時に出場を決めましたけど結果は二回戦敗退。それで今年はどこまでいけるか周りの先生や後輩や同級生に期待されているんです。もしかしたら出場もできないかもしれないのに。
でもそんな時に六尺を身につけると行くぞっという気持ちになります。六尺って不思議なものですね。
ちなみに普段学校は体育があるとき以外、六尺で通っていて、部活に出る前にトイレで六尺から普通の下着に着替えます。

ちなみにやっぱりああしなさい、ああなりなさいって言うのは親が多いですよね。
僕には母親がいません。小学校に上る前に離婚して今はどこで何をしているのかもわかりません。
父親は僕が中学生になった頃くらいからあんまり家には帰ってこなくなったんです。
父は付き合ってる女の人の所に泊まることが多くて、あんまり家には帰ってこないんです。顔を合わすのは月に一度か二度くらいかな。
でも三年生になってからは一度も顔を見てませんし喋ったりもしていません。というか高校に入ってから喋ったのは一時間にも満たないんです。

 
 
 伸さん。

 良識というやつですね。 今の俺は、世間の慣習という良識の範囲のギリギリのところにいるような気がします。 それはまたいつか、このブログに書きたいと思っています。

 
 
 4280さん。

 環境というものはもちろん自分で作っていけるのだけれども、俺はそれは与えられるもの、という意識をもっています。 その与えられる環境を受け入れて乗り越えて自分のものにしていく、そんなことの繰り返しだったような気がしています。

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