九段
窓辺の温度計は34℃、部屋の中は30℃。 窓から時折吹き込む風はどことなく涼しい。 温度計が壊れているのか、俺の感覚が壊れているのか。
昨日の夕方、静かに手を合わせてきました。 午前中はひと騒動あったみたいだけど、いたって静かに、みなさん手を合わせておられましたよ。
歴史に対して謙虚に向き合い、学ぶべき教訓を深く胸に刻みつつ・・・、世界の恒久平和にあた(能)うる限り貢献し・・・。
昨日夜のNHKのニュース番組を見ていて驚いたのだけれど、8月15日が終戦の日だということを知らない若い世代の人が多いのだそうだ。 学校で習わなかったのか、習っていたとしても忘れてしまったのか、それにしてもだ。 毎年夏になるとテレビでは戦争に関連した番組が増え、嫌でもその話題が耳に飛び込んでくる。
画像。 東京、靖国神社にて。
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やはり、お盆の時期になると、そうですね~。
自分もたまたま海辺で読んでいた本の中に、
「つまらないと思っている今日は、昨日亡くなった人がなんとしてでも生きたかった今日なのです。」なんて事が書いてました。置き換えて見ると、本当、そう思いましたね。
投稿: 男褌 | 2013年8月17日 (土) 15時42分
達さん、こんにちは。私は、15日は九段とは違う場所で戦没者の皆様に祈りを捧げました。テレビで終戦記念日や原爆投下の日を知らないという人を見ると残念でなりません。学校教育の問題なのか、家庭教育の問題なのか、はたまた社会全体の問題なのかはわかりませんが、世界中の人々が平和に、そして幸福に暮らせるよう、歴史からの教訓をしっかりと身につけたいと思います。
投稿: 伸 | 2013年8月17日 (土) 16時35分
終戦記念日について、以前は「どうして『敗戦』ではなく『終戦』なんだろ。事実を曖昧にしては潔くない」なんて感じていたのだけど、最近は「多くの人は戦を望んで加担したわけでなく、まるで嵐が過ぎるのを待つ様に、ひたすら蹲って耐え忍んでいたのではないだろうか。そういう普通の人にとっては『やっと終わった』って感慨。だから『終戦』なんだ」って思ったりもする。
靖国神社に祀られている「英霊」の圧倒的大多数はそういう「普通の人」だと思う。この神社が、その創建の経緯や戦犯とされた人の合祀等、政治性の強いものだとしても。
投稿: guz | 2013年8月18日 (日) 02時41分
「終戦記念日」は記念日って言っても、特にこう特別?な日ってわけじゃないらしいです。
カレンダーの字も普通に黒だし、
それに、戦時中はたくさんの人が死んで、犠牲を払ったのに負けてしまった。
それで敗戦した日を記念日にしたくないって人が多かったんじゃないですか?
僕のおじいちゃんはラジオで当時の天皇陛下の言葉を聞いたらしいですが。
周りは泣いてるか、事実を受け入れられずに地面を叩きつけたりしていたらしいです。
僕の住んでいるところはあまり被害がなかったらしいですが(爆弾は少なからず落とされたらしいですけど)
当時 東京に住んでいた祖父はもう町中燃え上がって、
あとには何も残らなかったといいます。
投稿: 4280 | 2013年8月18日 (日) 11時26分
男褌さん。
お盆が終戦の日。 だから絶対に戦争はしないのだ、ってところに繋がっている気がするんですよ。
投稿: 達 | 2013年8月20日 (火) 07時43分
伸さん。
昭和の始めの頃から20年8月15日までの歴史、実は学校では習ってないのですよ。 俺の年代だと、教える側の年代の戸惑い、みたいなものがあったのかな、と思ったりしますね。
投稿: 達 | 2013年8月20日 (火) 07時48分
guzさん。
加害者である我々日本人は、あまりに辛い思いを経験したために被害者意識が大きくなってしまった、って感があります。 そこのところが歴史認識云々につながっているように思うんですよ。
投稿: 達 | 2013年8月20日 (火) 07時52分
4280さん。
日本はどこも何にも残らないくらいにひどい状態になってしまった。 それを忘れてはいけないし、もうひとつ、日本がそんな状態になってしまう前に、日本人が外国の土地と人をむちゃくちゃにした事も忘れてはいけない。
投稿: 達 | 2013年8月20日 (火) 07時57分