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2014年12月18日 (木)

扇町のプール

 
 日本海側は大雪、関東平野は晴天、今年はいきなり冬本番ですね。 暖冬だと雪が多いそうで、この冬この先が思いやられます。
 
 
 
 行くようになったキッカケはちょっと不純で、塩○の海岸で知り合ったヤツが監視員をしてるというので、それで行ったのが最初。 たぶん’90年の夏だったと思う。 行き始めた動機はたわいもないことなんだけどそれ以来、屋外の50mプールで泳ぐのが気持ちよくて、東京に転勤する’94年の夏まで通い続けてるんだな。
 
 

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 当時の大阪、扇町公園にあったプール(正式には大阪プールというのかな)は今あるプールと違って扇町公園の西の端、堂山側から公園に入ったすぐのところにあったんだよ。 50mの競泳競技用のプールと高飛び込み用のプールがあって、両方とも深くて浮き輪なんかの使用は禁止されてたから子どもがいなくて、泳ぎを追及したいヤツにはいい環境のプールだったね。 実はその後、俺が初めて、いわゆる “付き合う” という関係になったヤツともここで知り合ってるんだな。
 
 
 
 六尺褌の人もいたね。 Tバックの兄ちゃんもお姉さんも。 こっそり、という感じじゃなくて堂々と、というか、いてもそれがまったく普通の光景だったね。 俺は泳ぐ時は競泳競技用の普通の競パン。 で、プールサイドで日焼けをする時はすごくきわどい競パンに穿き替えてた(笑
 
 
 当時はまだ六尺褌とかTバックの水着とかがゲイのセックスアイテム(と言ってしまうと語弊があるか)として広まってなかったんだね。 ほんの一部の人が楽しんでて、プールや海にその輩が大挙して押しかけるという事態にはなってなかったんだな。 だからきわどい人がそこにいても目立たなかった。 目つきの悪い人がひとりでいるだけなら怖くないけど大挙して集合していれば恐怖を感じるように、六尺締めた人が大勢で騒いでいるとそうでない人は恐怖を感じるよね。 だからあちこちのプールで禁止になってしまったわけだ。 いい時代だったな、あの頃。
 
 
 
 

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 俺はいつから群れることをしなくなっただろう。 思い返せば幼稚園生の頃すでにその気配があったように思う。 ひとりではおとなしいけど群れると大胆なことをする、って奴らが大嫌いでね。
 
 
 
 

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コメント

俺は扇町公園のプールには行ったことありません。設備が整った良いプールだったんですね!六尺の人もいたなんて自由なプールですね。
この前書いた神宮プールにはよく行きました。お仲間さん達は全員競パンでしたね。俺も当時は競パン派だったのでよく白の競パン穿いてました。田舎の人間なので大都会のこっちの人がたくさん集まるプールに夏に行くことがステイタスでした。俺も単独で行動することが今でも多いです。海に行く時もひとりですが淋しくないです。

 
 
 敦史さん。

 10年くらい前まではどこのプールも水着は自由でしたね。 規制をしなくてもみんな自己規制、社会的な常識がまたあった時代だったんでしょう。

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