憧れの東京
暑いね。 梅雨明け宣言はまだだけど、東京の空は真夏の空です。
憧れてたんですよ、子どもの頃、東京にね。 行きたくて仕方がなかった。 でも、子どもにとって、というよりも、京都と東京の距離500㎞は、昭和40年代の時代には、はるかに遠い存在だったんだな。
当時の京都の中学校の修学旅行は東京と箱根か東京と日光で2年毎の輪番、俺の年は箱根の番だったのね。 ところが当時は学生運動が盛んで、そしてちょうど日米安全保障条約の改定に反対する学生デモが最高潮に達していた頃。 俺が通う中学の近くの同志社大学や京都大学でも火炎瓶が飛び交う状態で、そんな時に東京に行くのはとんでもない、ということで静岡と箱根にコースが変わったんだ。 なので憧れの東京はお預けに。
たぶん、親父やお袋に 「東京に行きたい」 と言い続けていたんだろうと思うんだ。 修学旅行で東京に行くことが出来なかった翌々年、親父が連れて行ってくれたんだな。 親父と弟と俺の三人、夜行の高速バスで東京駅に着いて、はとバスで皇居とか羽田空港とかNHKの放送センターとかへ行って、世田谷の親戚の家に泊めてもらって、翌日の新幹線【ひかり】号で京都に帰ってる。
転勤で、東京に住み始めたのは’83年の4月。 東京都世田谷区。 実はまだこっちの世界は知りませんでした。 女性と付き合っててね。 男に興味? 肉体、筋肉に興味があったことが否定はしないけど、そこまでだったな。
4年住んで長野に転勤。 京都、大阪と転勤と引越しを重ねて、再びの東京は’94年の6月。 それから21年。 紆余曲折。 曲がってばかりだったような気がするよ。
画像。 東急東横線、渋谷駅にて。 ’08年に。
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コメント
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こんにちは達さん。自分も東京に今でも憧れがあります。初めて神宮のプールで競パンで日焼けした時は快感でした。毎年夏のお楽しみでした。
投稿: 敦史 | 2015年7月13日 (月) 16時06分
敦史さん。
神宮、俺もよく通いました。 ほんと、楽しかったですね。
投稿: 達 | 2015年7月14日 (火) 08時52分