過ち
北国では雪も降ったような寒の戻り。 風は収まったけど、低く雲が垂れこめて寒い朝です。
G7各国の外務大臣たちが原爆資料館を見学したあと、原爆死没者慰霊碑に献花をする。 テレビを見ていて、熱くこみ上げるものがありました。 70年経って、やっと一つのヤマを越えた。
『安らかに眠って下さい、過ちは繰り返しませぬから』
原爆死没者慰霊碑に刻まれたこの言葉。 ここに記された “過ち” を冒したものが誰なのか、という議論があるようだけど、そこに至るまでの過ち、それを犯した人すべてを指すものだと俺は考えています。 そして、これからの未来への約束と。
やはりその結果は、過ちを犯した結果なんだ。 たとえば、戦争をやめる決断をする機会はいくつもあったろう。 決断すべき人がしなかった、それも過ちなのだろう。 いや、そもそも戦争を始める決断をした、それも過ちではないのだろうか。 そして、ここに至るまでに70年もの年月を要した過ち。
すべては結果であるけれども、そこに至るまでに、いくつも引き返す機会はあったのだから。 70年が経って、やっとその70年とその前に犯した過ちを、繰り返さない機会が訪れた気がしています。
画像。 広島にて。
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達さんおはようございます。本当に達さんの考えその通りだと思います。二度と同じ過ち繰り返しない世の中作らないとね
投稿: 青空 | 2016年4月13日 (水) 07時59分
青空さん。
何度も過ちを繰り返す。 それが人間かもしれないけど、繰り返してはいけないですね。
投稿: 達 | 2016年4月15日 (金) 12時06分