正直に向き合う
はっきりしない天気が続きます。 ひょっとしたらこの天気は、夏の終わりの長雨なのかもしれない。
昭和20年(1945年)の日本、政府機関は機能していない無政府状態だったんだろうなと思う。 昭和20年どころか昭和3年(1928年)に、日本軍の中国東北部・関東州の守備隊、関東軍による中国の軍閥の指導者・張作霖の爆殺、張作霖爆殺事件あたりには日本軍による統治が始まっていて、日本政府は形だけの、日本軍の傀儡政権に成り下がってたんだろうと思う。
戦後の日本はその状態の反省のもとに成り立っているんだね。 軍隊を持たない、紛争の解決手段としての戦争はしない。 自衛隊は実質は軍隊だけれども、軍隊の暴走を許した痛い過去からの戒めで、日本人はずっとそれを軍隊とは認めずに、認められずに来たんだな。
ドイツは、敗戦後は、戦争中はドイツ国民はナチスに支配された被害者だ、という立場をとっているらしい。 日本は・・・。 終戦まぢかの頃は厭戦気分が広がって、今で言うところのDVの被害者、みたいな気分に覆われていたんじゃないかと思う。 それでも戦後は日本人の性格から、加害者意識というものが、言葉にはしないけれどもみんなの中にあって、それがあったからこそ戦争を否定する日本が形作られていったんではないだろうか。
かつて交通事故は、人対自動車、自転車対自動車の場合はどんな状態でも自動車を運転していた人が “悪” とされた時代がある。 今は状況によって3:7とか5:5とか、人が悪であって自動車側に原因がないと考えられる、っていう風に変わってきた。
あのかつての戦争も、命令を下す立場にいた人、命令に積極的に従った人、否応なく従わざるを得なかった人、戦場には立たなかったけれど戦争を鼓舞した人、戦争を鼓舞した時期があった人、そして戦争を知らずに生まれた人たちが正直に戦争に向き合ってほしいと思う長崎の日。
画像。 大阪、恵美須町にて。
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