共感性羞恥
今日もすでに気温は34℃。 空は雲に覆われてるけど、それでも落ちてくる弱い日差しが辛い朝です。
Twitter でたまたま目にした “共感性羞恥” なる言葉、その説明を読んで 『俺だけじゃなかったんだ』 と安心しました。 共感性羞恥。 誰かが恥をかく姿を想像すると共感してしまう感情、だそうだ。
テレビでドラマを見てて 『ああ、この先この人は恥をかくというストーリーなんだな』 とわかってしまうとその先は見ていられない。 まるで、自分が恥をかくみたいな恥ずかしさを感じてしまうから。 負けると結果を知ってしまってるスポーツニュースや録画も見てられない。 電車の中なんかの会話で、明らかにまちがってることを言ってる人がいるとその場から逃げたくなる。
この感情、たぶん子どもの頃から俺にはあると思う。 それが年々重症化していって、今はドラマはまず見ないし、映画も見なくなってるのはそのせいだと思う。 何か原因があるのだろうなとは思う。 子どもの頃の何かの体験かな。 よっぽど恥ずかしい思いをして、それがトラウマになってるのかもしれない。
俺だけじゃなく、ちゃんと名前までついてる感情なんだとわかって気持ちは楽になったよ。 だからといって大丈夫になったか、とは言えない。 テレビドラマはやっぱりダメだろうし、芸人に恥をかかせることをさせるバラエティーなんてとんでもない。
画像。 名古屋、東山動物園にて。
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