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2019年1月 1日 (火)

大晦日 

 
 平成30年が暮れて、つい先ほど新しい年に改まりました。 かつてはみんなでカウントダウンを楽しんだり、ふたりっきりでしっぽりと除夜の鐘を聞いたりしたけど、今年の大晦日はひとり静かにゆく年くる年を見ています。
 
 
 みなさんはこの一年、どんな年でしたか? 俺は 忙しい 一年でした。 仕事に明け暮れた一年でしたね。 一年前の12月のこのブログを読み返してみると、毎日のように仕事でイライラしてたみたいですが、今年は去年ほどではないけど、やっぱりイライラした毎日でした。
 
 
 
 さてと、このブログは今日で閉じます。 2008年の6月から10年綴ってきましたが、ひとまず区切りをつけて、新しいブログ 達 tatsu、日日是好日  を始めます。
 
 
 くる年、平成31年と新しく来る元年がみなさんにとって良い年でありますことを願って、長いあいだ、ありがとうございました。
 

2018年6月 7日 (木)

海水浴場 俺の六尺年表 ’05年

 
 昨日からの雨が上がって、日差しが出てきました。 ベランダの温度計は26℃、熱くはないけど蒸してきましたよ。
 
 
 
 海、海岸で六尺褌一丁になったのは鹿児島の与論島のホテルの前のビーチが最初なんですよ。 ’05年の10月です。 六尺で日焼けするようになって9年目、ずいぶん時間がかかりました。 日焼けはもっぱら公園や住んでたアパートの屋上でしていただけでしたね。
 
 

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 ホテルのプライベートビーチのような砂浜だったので、最初は勇気が要ったね。 でも、シーズンオフの平日だったので人も少なくて、気になるの人の目はホテルのビーチボーイ君くらい。
 
 
 この年から後、冬にはグアム島へ行って砂浜で日焼けしたり、大阪の友人と神戸の人口砂浜の海水浴場に行ったりしたよ。 逗子の海水浴場で日焼けするようになったのは、○坪の岩場まで歩くのがめんどくさく思うようになったからだね。 桑名に引っ越して来てからは知多半島の海水浴場にも行ったよ。
 
 
 一般の海水浴場では気を遣うようにしてる。 ダメですと言われたことはないけど、ケツタブ丸出しの男を不快に思う人もいるだろうからね。 寝っ転がる時は六尺だけど、歩く時、海に入る時は上にパンツを穿くようにしてるよ。 人とは違うことをしてるのだからそれくらいのことはしないとな、と思うからね。
 
 
 
画像。 鹿児島、与論島にて。
 

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2018年6月 4日 (月)

銭湯 俺の六尺年表 ’01年

 
 晴れてます。 すっきりと青空、というわけにいかないのは伊勢湾最奥部で湿気が多いという場所柄ですかね。
 
 
 
 ジムでの着替えの時に六尺褌を締めるようになってから銭湯の脱衣場で締めるようになるまでずいぶん時間が開くんだけど、それは銭湯に行く機会がなかったから、って理由だけなんだな。 当時住んでた場所の近くには銭湯がなくてスーパー銭湯に行くこともしてなかったからね。
 
 

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 銭湯での最初は城崎温泉にいくつかある外湯、いわゆる日帰り温泉です。 おふくろが逝った時の看取ってから葬式、初七日まで、けっこう長いあいだ京都に帰ってたんだけど、その時の息抜きに日帰りで城崎温泉に行った時なんだな。 年配の人に 「おっ、褌か、懐かしいねぇ」 って言われたよ。 それが銭湯での最初の六尺。
 
 
 その翌日、実家の風呂を沸かすのが面倒なので近所の銭湯へ行ったんだけど、それが親父への 『褌締めてることを』 カミングアウトの時です。 親父はその後も何のコメントもなく、親父が逝ってしまうまでの数年間は東京と京都の二重生活で、帰る度に親父はブリーフ俺は六尺の銭湯通いだったね。
 
 
 見ることはまずない褌を締めてる人、それもちょっと変わった日焼けの跡がある人を、周りの人はどんな思いで見てるんだろうか。 ちらっと見られることはあるけど、声をかけてくる人なんて皆無と言っていい。 だからと言って気に留めてないかというとそうでもないと思う。 たぶん誰かに 「褌の人いたよ」 と言ってるだろうけど、ただそれだけの事。
 
 
 
画像。 兵庫、城崎温泉にて。
 

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2018年5月30日 (水)

フィットネスジム 俺の六尺年表 ’98年

 
 雨になりました。 気温が低いから蒸し暑さはない、しっとりとした空気が気もちいい朝です。
 
 
 
 フィットネスジムに通いだしたのは’87年、ジムってものがまだそんなに多くなかった頃だね。 泳げるようになりたい、ってのが動機だったんだな。 身体を鍛えたい、って思いはそれより前からあったんだけど、昔はボディービルジムかボクシングジムしかなかったから、そこまでは・・・、って思いがあってずっと行かなかったんだよ。
 
 

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 六尺褌を締めるようになって、ジムのロッカールームで解いたり締めたりするようになったのは’98年頃だったと思う。 常用するようになってそんなに間は開いてない記憶があるからね。 ジムに行って、トイレで解いて、そしてトイレで締めて帰る、ってのをやってたんだけど面倒になってね。
 
 
 見ず知らずの人に見られるのは何とも思わなかったんだけど、知ってる人に見られて陰で話題にされる、ってのがイヤって思いがあったんだな。 それで最初の頃は隠れて締めてた。 まあね、いざ堂々とロッカールームで締めてみると何のことはないんだよ。 陰で何と言われてようと俺には聞こえてこないし 「褌してるんだね」 と言われても 「そうだよ」 ですんでしまう。
 
 
 とは言え、会社勤めを辞めて自営で仕事を始めていて、仕事で関わる人の目に触れる機会が少ない、って気軽さが背中を押したのはまちがいないよ。 職場や取引先で噂になるかもしれない、と思うと踏み出せないよね。
 
 

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2018年5月25日 (金)

屋外で日焼け 俺の六尺年表 ’97年

 
 なんか暑くなりきらないですね。 今年は冷夏なのかな、と思ったりするけどまだ5月。 夏はこれからですね。
 
 
 
 屋外で六尺褌一丁になった最初の場所は新○場なんですよ。 六尺で日焼けを始めた年、’97年の5月か6月。 ゲイ雑誌のハッテンガイドを頼りに行きましたね。
 
 

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 平日の昼過ぎで、俺以外にはケツワレで焼いてる若い人がひとりだけ。 その彼から微妙な距離を置いて寝っ転がりました。 西側の運河沿いだったんだけど、静かでのんびり出来て、気に入ってました。 最後に行ったのはたぶん’10年の夏、毎年何回かは行ってたね。
 
 
 十数年間で相当の回数行ったけど、六尺を締めた人はひとりも見なかった。 全裸の人が多かったな。 全裸で日光浴ができるところというと極々限られた場所になるから、ここに集まってくるんだろうな。 それに、電車の駅も近いし駐車場もあるから、便利なんだよ。
 
 
 いろんな人がいたよ。 リュックを背負って全裸で歩き回ってる人とか、自分で自分を木にくくり付けてじっとしてる人もいたね。 明らかに変態だけど、自由で平和で和やかで、そんな雰囲気が好きだった。
 
 
 
画像。 沖縄、波照間島にて。
 

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2018年5月20日 (日)

六尺で日焼け 俺の六尺年表 ’97年

 
 爽やかに晴れてます。 ベランダの温度計は20℃、風はなく、絶好の日焼け日和じゃないですか?
 
 
 
 競パンの日焼け跡があるまま六尺褌を締めてる、って絵柄、それもいい、って人もいるみたいだけど、俺は許せなかったんだな。 サラリーマン生活を辞めてフリーターになるのを機に、まさに満を持して六尺で日焼けを始めてる。 サラリーマンとして組織に属してるあいだは一歩踏み出せなかったんだな。
 
 

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 ’97年の年明け早々じゃなかったかな。 東京、新宿の日焼けサロンが最初だった。 冬で薄くなってるとは言え競パンの日焼け跡が残ってるところに六尺の跡を付けていく。 競パンの日焼け跡の上端よりも六尺の横褌の位置は高いところだから、けっこう滑稽な日焼け跡だったのを憶えてるね。
 
 
 六尺褌の日焼け跡を付ける、ってのは俺にとっては刺青を入れるくらいの勇気のいることだったんだよ。 刺青と違って一年間くらい何もしなければ消えてしまうものなんだけど、それでも、身体に特別なものの跡を付けるってのが異常なことのように思えたんだな。
 
 
 いわゆるノンケの人たちの前で裸にならなければ見られることはないんだから、臆病になることなんかないんだよ。 大きな障害は俺の “露出欲” だったんだよ。 見られたい、見せたいという承認欲求。 何のために六尺の日焼け跡を付けるの? 俺の答えは 『それは見せるためでしょ』 となる。 銭湯やジムのロッカールームでね。 誰に見られるかわからない、それで変な噂を立てられたくない、だからサラリーマンでいる間は出来なかった。 
 
 
 
画像。 沖縄、与那国島にて。
 

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2018年5月16日 (水)

六尺を常用 俺の六尺年表 ’96年

 
 ベランダの温度計は24℃、湿度が低いせいか暑さは感じない。 夏までのいっ時の爽やかな季節ですね。
 
 
 
 締め始めた当初の数年間は六尺褌の長さや幅、締め方、締める位置なんかを試行錯誤してましたね。 幅はすぐに半幅に落ち着きましたが、長さ、締め方、横褌の高さはいろいろ試しました。 
 
 

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 仕事に行く時にも締めていくようになるまでにそんなに時間はかかってなかったんじゃないかな。 初めて締めてから半年後の’96年の、遅くとも春には常用しだしてる。 それほどまでに急激にのめり込んでるね。
 
 
 何がそうさせたのか。 実はこの次の年、’97年早々に、長年勤めた会社を退職するんだな。 会社を辞めて、次に “これ” がしたい、ってものがなく、ただ辞めたいから辞める、って辞め方をしたんだよ。 無謀でしょ(笑)
 
 それくらい行き詰ってたんだな。 仕事に、だけじゃなく、すべてにね。 変わりたかった、変えたかったんだな、何もかもね。 そこにちょうど六尺褌が現れた。 六尺褌が俺を変えた、ってほど大げさに影響したわけじゃないけど、変わるひとつの大きな要素にはなったんだね。
 
 
 
画像。 沖縄、波照間島にて。
 

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2018年5月14日 (月)

六尺褌 俺の六尺年表 ’95年

 
 ベランダの温度計は25℃。 強い日差しが照り付け始めました。 海に行ったらよく焼けそうですよ。
 
 
 
 俺は六尺褌を知って人生が変わりましたね。 いや、変わろうとするちょうどその時に六尺に出会ったのかもしれないけどね。 六尺を初めて手にして、その場で締めてもらった1995年秋、いま思うとその前と後では、俺の生活はがらりと変わりましたね。
 
 

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 1995年の秋。 当時付き合ってた彼氏の家のタンスの中の赤い布切れを手にしたのが始まり。 その日、その場で、彼に締めてもらってる。
 
 
 六尺褌というものはゲイ雑誌の写真なんかで見てたから存在は知ってたし、塩○では締めた人を見たこともあったけど、関心が向くことはなかったんだな。 友人の付き合ってた人が六尺好きの人で、いっしょに日焼けしに行ったと日焼け跡を見せてもらったこともあったんだけど、それでもその時の俺の興味は競パンから移ることはなかったんだよ。
 
 
 タイミング、ってのはあるよね。 東京に転勤になって、二度目の東京での生活の2年目。 一度目の東京での生活の時に映画館でこっちの人と知り合って初めて “男” を経験したわけだけど、そこから先に進むことはなかったんだ。 いろんな意味で怖かったんだな。 そして京都に転勤になって大阪で暮らしてジムや海やゲイバーを知って、うまく生活していく術を知って、そして東京・・・。
 
 
 
画像。 沖縄、波照間島にて。
 

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2016年3月31日 (木)

 
 すっきりと青空は見えず、こういうのを花曇りというのか。 サクラは今日、満開だそうですよ。
 
 
 
 褌。 いったいその魅力は何なのですかね。 見た目、ですか、締め心地、ですか、それとも、たとえば男らしさ、とかってもんですか? この “褌” という文字自体にも惹かれるものがあるんだよな。
 
 
 相撲のまわしとかお祭りの締め込みとかにはそれほど興味はないんだよ。 子どもの頃から相撲はテレビでお祭りは生まれ育った京都で見てたけど、まわしや締め込みに魅力を感じたことはない。 やっぱり褌なんだよ。
 
 

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 越中褌を見たのは、実家の近所の銭湯でだったと思う。 俺が子どもの頃、越中を締めてる人、ほとんどはお爺さんだったけどまあまあいて、特別に珍しいというわけではなかったんだよね。 そんな中で近所に住む若い人、たぶん30歳代くらいだったと思うんだけど、その人の越中姿は、銭湯で会うたびにジッと見ていた覚えがあるよ。
 
 
 六尺褌となると、雑誌なんかの写真でしか見たことはなかったんじゃないかな。 親父は仕事柄から写真集とかデザインの雑誌をたくさん持っていて、お祭りの写真集の中に六尺を締めた人のがあって、それが強く印象に残ってるね。 実際に六尺褌を締めた人を “生” で見たのは、果たしていつのことだったんだろう・・・。
 
 
 
 ここ半年、六尺を締めるのは休日だけ。 仕事の日はトランクス、わが家でくつろぐ時間はもっこ褌。 これが今の俺の生活には合理的かな。
 
 
 
画像は、栗浜陽三氏の写真集より。
 

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2016年3月20日 (日)

六尺褌 銭湯

 
 さっきまでは青空がのぞいてたんだけど、だいぶ曇ってきましたね。 気温は12℃。 まだコートは手放せません。
 
 
 
 人前で六尺褌を解き、そして締めたのは、城崎温泉の外湯でが最初だと思う。 それがいつのことだったかは忘れてしまったけど、住んでる所からは遠い旅先で、確実に知ってる人に合わないところ、ってのが、人の目を気にしていた証拠だね。
 
 

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 フィットネスジム、プールの更衣室での最初となると東京体育館のプールの更衣室だね。 東京体育館の更衣室が現在の状態に改装される前、ジムとプールが別々の更衣室だった時代。 シャワーごとに区切りがなく、隣や向かい側の人を見たい放題だったシャワーブースでクッキリ付いた六尺の日焼の跡を人に見られて、ロッカールームで六尺を締めてるところを人に見られて、鍛えられていったね。 通ってた新宿駅に近いフィットネスジムにも締めて行くようになるのに時間はかからなかったよ。
 
 
 
 銭湯、スーパー銭湯に六尺で、となると、東京のお台場の “大江戸温泉物語” というスーパー銭湯が最初かな。 ’03年の開業後すぐのことで、その大江戸温泉に行ったのをきっかけに都内のあちこちの銭湯へ行くようにもなって、俺にとって六尺褌を締めることがは普通の事になっていく訳だ。
 
 
 
 実は今は、誰かと銭湯にいっしょに行くとか温泉に行くとかの時は、六尺を締めて行かないんですよ。 ひとりの時は締めてるけどね。 褌を見た人に、俺はどう思われようが構わないのだけれど、いっしょに行ってる人が 『俺も変な眼で見られるじゃない』 と思うかもしれない、と思うからなんだな。 ほとんどの人は気にもしてないのは確かなんだけど、気にしてるのはこっちの人種に限ると言ってもいいと思うんだけど、だからそれでイヤな思いをさせてしまうというのは避けたいからね。
 
 
 
画像は、栗浜陽三氏の写真集から。
 

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