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2018年7月 4日 (水)

あの頃に戻れたら

 
 台風の南風に乗って雲が次々と流れてきて、今日は一日雨のようです。 ベランダの温度計は26℃、湿った風が涼しい朝です。
 
 
 
 もう一度やり直したい、って思いますよね。 このブログも、昔を振り返って書いてるのはその気持ちの表れだし、そんな気持ちで書いたものがたくさんあるよ。 性を意識する、中学生くらいからまた始めたい、とよく思うね。
 
 

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 ちょっと前に Twitter や Instagram に 『中年男性は空港で 「今から行ってきます」 画像をよくアップしてるけど、何が楽しいの?』 ってなことを書いてた若い人に共感する人が多い、ってネットのニュースにあったんだけど、おじさんの若い頃はそんな環境はなかったからね。 この年になってそういうツールを手に入れたんだよ。 だから今、やりたくて仕方ないんだよ。
 
 
 今、2018年の7月に、例えば23歳、大学卒業したての自分だったら、って想像することがあるよ。 あの頃に戻れたら、って数十年前に戻っても、たぶん同じ人生を歩むと思うんだよね。 その後の記憶があるんなら、つまり未来がわかってるんなら違う道も行くだろうけど、白紙の状態に戻ったとしたら、今は、今とまったく同じことをやってるよ。 だから現在の23歳を生きてみたい。
 
 
 いつでも出来るからとやらなかった事、世間の目があるからと躊躇した事、考えてる間に熱が冷めてしまった事、そんなのがたくさんあって、それはやっておけばよかったと後悔する。 あの頃に戻れるなら、戻りたいね。
 
 

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2017年12月 8日 (金)

いま思うと・・・

 
 久しぶりに雨。 日差しがない暗い寒い日は、なぜか昔を懐かしみます。
 
 
 
 『人生は一度きりだから、悔いることがないように・・・』 とは言っても、後悔することは多かれ少なかれ誰でもあると思う。
 
 “やればよかった” という後悔と “やってしまった” という後悔。 やればよかったと後悔するよりも、やってしまったと後悔する方がまだまし、と思うようになったのはいつからだろう。 “やってしまった” は取り返しがつかないわけだけれど、それでも俺はやればよかったという後悔はしたくない。
 
 

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 海外旅行は不安ですよね。 つたない英語、イミグレーション、日本とは違う現地の交通事情、そして食事。 初めての海外ひとり旅は’83年のニューヨークでした。 いろんな不安、よりも好奇心が勝った結果の行くという決断でしたね。
 
 「ニューヨークはやめときなよ」 という声が大半だったな。 30数年前の外国、それも、よりによってニューヨーク。 でもね、お袋の 「ニューヨークって何人くらい人が住んでんの? そんなたくさんの人の中のあんた独りって、目立ちはしないし、何でもないよ」 という言い分で決断したんだった。
 
 
 この時からかな “迷うなら、やる” と行動するようになったのは。 その結果、痛い目に遭ったことはたくさんあるけど、それを後悔することはないし責任はとってきた。 ただね、迷惑をいっぱいかけてきたことはすまないと思う。
 
 
 
画像。 アメリカ、ワシントンDCにて。
 

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2017年12月 7日 (木)

六尺褌、俺の年表

 
 雲ひとつなく、青い空が広がっています。 空気はカラっカラ。 気をつけないと風邪をひきますね。
 
 
 
 俺の六尺褌の年表を整理してみました。 このブログに書いてきた六尺褌に絡む出来事は、書いたその時の曖昧な記憶が元だったけど、しっかりと検証してみました。

 

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 * 初めて締めたのは1995年の秋の赤褌。 付き合い始めた彼氏の部屋のタンスの引き出しに入ってた赤い布を見つけて、それをその場で締めてもらった時。 その直後に俺用のを買いに行って締め始めてる。
 
 
 * 六尺の常用は、初めて締めてからそんなに期間を置かない、たぶん’96年のはじめの頃。 会社にも締めて行ってる。
 
 
 * 六尺を人前でも締めるようになったのは’96年の夏。 東京の五反田のジムに通ってた頃はわざわざトイレで解いてからロッカールームで着替えて、帰りはノーパンだったのを、新宿のジムに替わってからはロッカールームで解いて、締めて帰るようになった。
 
 
  * 六尺での日焼けは’97年の1月頃、新宿の日焼けサロンでが最初。 サラリーマンを辞めると決めて思い切った。 それから今に至るまで六尺の日焼け跡は続いてる。
 
 
 * 六尺でのプールデビューは神宮のプール。 ’97年夏。 ただし、日焼けするのが目的で行ってるので、水に入る際は六尺の上にサーフパンツを穿くようにしてたから、六尺だけでは泳いでない。
 
 
 それからあと、新○場の運河沿いや小○の海岸へ行きだしたのがいつだったのかは憶えていない。
 
 
 こうしてみると、2年に満たない短期間で今の俺が出来上がってるね。 俺にとって六尺褌は急激にのめり込むほどの衝撃的なモノだったわけで、今になっても六尺への愛着、執着は変わらない。 不思議な存在だ。
 
 

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2017年12月 6日 (水)

日焼け跡

 
 寒い朝。 でも、窓から差し込む日差しは暖かく、暖房なしでも十分に過ごせる気持ちいい朝です。
 
 
 
 競パンの日焼け跡を六尺褌の日焼け跡に替えるのは、思ったよりも簡単に進んだね。 肌の露出してる部分が競パンよりも六尺の方が多いから、日焼けサロン数回で今まで焼いてなかったお尻が日焼けして、六尺の日焼け跡らしくなりました。 ただ、横褌の部分は競パンの上端よりも上だから、その部分だけは滑稽な感じだったけど。
 
 

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 夏に備えて、冬の寒い時期に日焼けサロンに行き始めたんだよ。 六尺に出会って締めるようになった翌年の早春。 サラリーマンを辞めた翌月にね。
 
 
 日焼けの跡を気にするようになったのは24、5歳の頃かなぁ。 このブログの 競パン で書いたように、職場の仲間とプールに行ったことがきっかけになって日焼けをするようになったんだけど 『何で?』 かはわからない。 友人と琵琶湖に泳ぎに行ったり、日本海の海水浴場にひとりで行ったり、プールのシーズンチケットを買うことまでして日焼けしてたね。
 
 
 東京に転勤になってからは駒沢公園や神宮のプール、逗子や大磯の海にも行ってた。 けど、この時はまだゲイビーチの存在は知らないんだよね。 神宮のプールにはたくさんいたんだろうけど、まったく目に入ってない。 男の身体、筋肉やモッコリには興味があって見てたけど、あの頃はその先のことは考えもしなかった。
 
 
 何で日焼け、なんだろう? 『きれいな肉体に日焼けの跡』 はエロいと思う。 それが良くて、そうなりたかったのかな。
 
 

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2017年11月28日 (火)

プール

 
 いい天気の日が続きます。 青空が広がって気持ちはいいけど、乾燥肌が辛いです。
 
 
 大阪、扇町公園のプール、今は屋内の25mと屋外の遊泳プールがあるみたいだけど、俺が大阪にいた頃は屋外に50mプールと高飛び込みのプールがあったんだよ。 仕事が休みの日は必ずと言っていいほど通ってたね。
 
 

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 ’88年頃、当時は京都に住んでたんだけど、屋外の50mプールで泳ぎたくて行ったのが最初かな。 いつ行っても空いてたね。 当時はまだフィットネスブームの前で、ジムもそんなに混んではいなかった。 俺は競パンだったけど、Tバックの人や赤褌の人もいて、おおらかな時代だったね。
 
 
 純粋に “泳ぐ” ってのが目的で、そこにけっこうお仲間さんがいるとは知らなくて行ったんだよ。 そう言えば、と後から気付いたんだけど、トイレの個室には穴が開いてたし、更衣室では裸で長い時間いる人もいた。 Tバックの逞しい兄ちゃんも赤褌のおじさんも、しゃべってみればこっちの人だったよ。
 
 
 実は、俺が最初に付き合った人ともここで知り合ったんだよ。 会った初日に声かけられたんだったかな。 彼も真剣に泳いでいてね、俺が上がろうと思って更衣室に行ったら後から入ってきて、けっこう長い時間、お互いに、タオルで身体を拭うしぐさをしながらお見合い、見せ合いしてたな(笑
 
 
 何年後かに再び東京に転勤になってからは神宮、駒沢と屋外プールにはしょっちゅう行ってたね。 ほとんどが競パンでだったけど、プールの赤褌デビューは駒沢だった。
 
 
 
画像。 大阪、梅田にて。
 

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2017年6月12日 (月)

ゲイビーチ

 
 青空に白い雲。 気温は24℃。 梅雨に入ってるそうだけど、涼しい風が心地よい爽やかな朝です。
 
 
 
 初めて神戸の塩○の海岸に行ったのは、東京赴任から京都に戻って間なしの9月の中頃だったと思う。 だから30年近く前になるな。 京都の河原町駅から阪急電車で十三、神戸線に乗り換えて山陽電鉄の須磨浦公園駅、そこからテトラポットの海岸を歩いて行ったよ。
 
 

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 当時は競パンだった。 サイドが2㎝くらいのきわどいヤツね。 楽しかったね。 競パンで寝っ転がってるだけでもね。 競パンの人、Tバックの人、赤褌の人、全裸の人、みんな自分の楽しみ方をしてたよ。 干渉されるわけじゃなく、思い思いに楽しんでたな。
 
 
 無言の秩序みたいなものがあったように思う。 今は夏になると茨城県や千葉県の海岸へ大挙して押しかけて、やりたい放題の様子が SNS にアップされたりしてるけど、あの頃は、公にはできないことをやっている、って自覚はみんな持っていたと思う。 まあね、スマホもなかったし、もちろん SNS もまだなかったから、あったら状況は違ってただろうけどね。
 
 
 とは言っても、盛り上がりは抑えられない時もある。 挑発されれば俺だって気分は上がるし、イケメンがいれば俺の方からちょっかいを出すことだってあったよ。 人目に付きにくいん場所では、全裸でいることが多かったかな(汗
 
 
 桑名に来て二度目の夏。 今はすっかり一般の海水浴場で日焼けを楽しんでるけど、たまに、思い出の場所に行ってみたいと思うことがあるよ。
 
 

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2017年3月18日 (土)

思い出に間にあいたくて

 
 サクラの開花予想日まであと十日ほど。 青空が広がって日差しは気持ちいいけど、まだまだ寒い。
 
 
 もう名前も忘れてしまったけど、この歌を聴くたびに思い出す人がいる。 松任谷由美の ♪思い出に間にあいたくて♪  その人とはこの歌の歌詞のような思い出があるわけじゃなく 「俺はこの歌が好きなんです」 と言ったら、ユーミンの歌を、この歌を含めて何曲かをカセットテープに編集をしたものをくれたんだ。
 
 

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 大阪にいた頃、毎日のように行っていたフィットネスジムでよく顔を合わせた。 自然に話すようになり、トレーニングの後にお好み焼きを食べに行ったり居酒屋へ行ったり。 確か、カラオケに行った時にユーミンの話になったんだと思う。
 
 
 いま思うと、十分にこっちの人だったんだよな。 30歳代半ばになって独身、筋トレ、ユーミン、それだけで十分に。
 
 
 その後、俺が転勤で大阪を離れたのは’94年6月。 その直前に塩○の海岸に行ってるんだけど、そこで彼と会っている。 寝っ転がってた彼は、俺を見つけると手で顔を覆った。 けど俺は 「ここに横になっていい?」 と言って彼と並んで日焼けを始めた。 彼の手に俺は手を重ねてみた。 彼は逃げなくて、しばらくそのままでいたよ。 その後の記憶はない。 彼とはそれが最後だったな。
 
 
 
画像。 沖縄、波照間島にて。
 

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2017年3月 2日 (木)

こっちの道

 
 昨日の夜から弱い雨。 気温は7℃。 真冬の凍るような雨とは違って、春を感じる雨降りです。 
 
 
 27歳からの4年間、俺は東京にいたんだけど、何かを一生懸命やった、という記憶はないんだな。 仕事に行って、同僚と飲んで、休みの日も何をするわけではなく、ただその場の流れに乗っていただけ、って生活だった。 誘われれば断らずスキーに行ったり泳ぎに行ったりしたけど、自分から進んでやったのは映画館とストリップに通っただけ、って感じだったように思う。
 
 

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 30歳になって、転勤で京都に戻ってすぐに、ゲイバーに行きたい、と思うようになっってるんだな。 何でそんな気持ちになったかは忘れたけどね。 どの辺にあるかはゲイ雑誌を読んで知ってたけど、ひとりで行く勇気はない。 そこで思いついたのが 『ゲイサウナへ行ってゲイバーに連れて行ってくれる人を探す』 ってこと。 サウナにも行ったことがなかったんだけど、サウナにはひとりで入る勇気はあったわけだ(笑
 
 
 北○館。 よし、今日行こう、と思った日に、即、行ったんじゃないかな。 そしてその日のうちにゲイバーにも行ってるんだよ。 きちんと目的は果たしてるわけだ。 ラッキーだったね。
 
 
 東京にいた時は女の人と付き合ってた。 東京に行く前、京都にいた時も付き合ってた。 京都にいた時に付き合ってた人とは、周りのみんなはそのまま結婚するんだろうと思ってたと思う。 俺もそんな気でいたしね。 でも、東京に行って変わったんだな。
 
 
 何がきっかけでこっちの道に来たんだろう。 映画館とかストリップ劇場とか、会社の同僚や仕事先の人たちと食事に行ったり飲みに行ったりする時、男の人たちと過ごしてる方が俺は楽しい、と感じるようになったんだな。 昨日、久しぶりに大阪の梅田や難波をぶらぶら、そんなことを考えながら歩いてた。
 
 
 
画像。 東京、新宿歌舞伎町にて。
 

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2017年1月30日 (月)

ストリップ劇場

 
 暖かい、と言っても気温は8℃くらい。 空は灰色の雲に覆われて、そろそろ雨になりそうです。
 
 
 この前、ポルノ映画館に通ってた話は書いたけど、実は、ストリップ劇場にもよく行ってたんですよ。 入場料が映画館ほど安くはないから頻繁には行けなかったけど、給料日の後なんかには行ってたね。 池袋とか新宿とか。 川口とか船橋なんかにも遠征したことがあるよ。
 
 

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 通ってたのは20歳代の終わり頃。 27歳で東京に転勤になって、それから間なしに行ってるんじゃないかな。 京都、大阪では行ったことがなくて、東京で暮らすようになってからいきなり、ってのはたぶん、知ってる人と出くわす心配がないのが一番の理由だろう。
 
 
 当時は “女” に興味があったんだよ。 ポルノ映画を見に行ったのもストリップ劇場に通ったのも、女に興味があったから。 でも、そこには “男” も登場する。 いわゆる “まな板ショー” ってやつね。 ジャンケンで勝ったヤツが舞台に上がるわけだな。 たぶんね、それがあるからストリップ劇場に行ってたんだろうと思う。 ただ踊り子さんが踊るだけじゃ、通ったりはしなかったと思う。
 
 
 あの舞台のスポットライトが当たったところだけが明るくて客席は薄暗い部屋の雰囲気は好きだったね。 場末感、という表現をしたら失礼かもしれないけど、そんな雰囲気が好きだった。 ジッと舞台を見詰めながら、自分の大きくなったモノをシコシコしてる人がいたり、それをしゃぶってもらってる人、しゃぶりに来てる人もいるんだよ。 俺も何度かしゃぶってもらったし、ジャンケンに買って舞台に上がったこともあったな。
 
 
 
画像。 名古屋にて。
 

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2017年1月26日 (木)

映画館

 
 いい天気です。 2週連続で降った雪はすっかり消えて、暖かな日差しが降り注ぐ朝です。
 
 
 俺、こっちの世界は、映画館デビューなんですよ。 今はないけど、かつて横浜にあった “西口シネマ”。 邦画、洋画のポルノ映画を上映しててね、最初は本来の目的、その映画を観るために行ってたんだよ。 そこがハッテン映画館だと知ったのは何度目かの時。
 
 

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 映画をよく観るようになったのは20歳代の後半、東京に転勤になってから。 休みの日に遊ぶ友達も東京にはいないし、薄給でお金もなかったしね。 家でゴロゴロするか、目的もなくただ電車に乗ってるか、三本立てをやってるような安い映画館で半日過ごすか。 ポルノ映画を観るようになったのもその頃。 けっこう頻繁に行ってたね。
 
 
 スイングドアを押して中に入ると、後ろの壁に沿って人がいっぱい立ってるんだな。 「うわっ、混んでるんだ」 と思って、最後列の座席の後ろの手すりにつかまって目を凝らすと座席はガラガラ。 最初はその意味がわからなかったよ。 だから俺は、当然空いてる席に座りに行く。 しばらくするとすぐ隣の席に誰かが座って、俺の股間に手が出てくる。
 
 
 最初は拒否した。 でも、座席に座るとまちがいなく隣に人が来るんだよ。 しだいにそういう人が集まって来るところで、席に座る、壁に沿って立つ、手すりに寄りかかって立つとはそういうことなんだ、とシステムを理解するようになっていったね。
 
 
 映画館に通ったのは飲み屋で飲む楽しさを覚えるまでの5~6年間かな。 何度行ったか数えられないけど、俺は “されに行く” だけで俺から手を出したことは一度もない。 怖いとか汚いとか気持ち悪いとかという感覚よりも、気持ちがいいからという欲望が勝ってたのは若かったからだろうな。
 
 
 
画像。 名古屋にて。
 

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